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豊国神社は、神号「豊国大明神」を下賜された秀吉さんを祀る神社です
では、秀吉さんはどこに葬られたのか?
秀吉さんの遺言により
豊国神社の東方にある阿弥陀ヶ峯に葬られましたが
のちに家康さんにより破却
しかし、明治31年の秀吉300年祭にあたり再建されました
京都国立博物館の東
東山七条の交差点にある智積院と妙法院の間に豊国廟参道があります
これをどんどん東に向かって歩いていくと豊国廟に到ります
が、なぜか参道のど真ん中に新日吉神宮(いまひえじんぐう)が建っています
後白河天皇が比叡山の麓にある日吉大社を勧請したのが
始まりだと言われています
秀吉さんの没後、豊臣氏はこの新日吉の社の北社地に豊国社を造営します
が、家康さんが破却します
破却しますが秀吉さんは京都の人たちにとても人気があったので
秀吉さんを信仰する方たちは密かにここにお参りにきていたようです
家康さんの執念深さゆえ複雑な歴史をもつ新日吉神宮ですが
境内で面白いものを発見しました
檻に入った狛猿です
狛犬ではありません
日吉山王のご神猿です
せっかくなので阿弥陀ヶ峯の豊国廟にも行ってみようと
どのくらい時間がかかるのか聞いてみましたら・・・
500段以上の階段を登ったところにあります、と言われ
即、あきらめました、36℃の猛暑ですから
秀吉さんには申し訳ないですが
新日吉神宮から合掌することにしました
ここから三十三間堂へ
秀吉さんは後白河法皇の院庁、法住寺殿内に方広寺大仏殿を建立しました
あやかろうとしたんでしょうね、後白河法皇と平清盛さんの栄華に・・・
三十三間堂はじめ後白河法皇陵をも取り込んで
土塀で囲んでしまいました
その遺構として南大門と太閤塀が今も残っています
南大門の向かって左が三十三間堂で、右が法住寺、養源院です
久しぶりに三十三間堂の仏さまにお参りしてきました
いつ見ても感動します
迦楼羅(かるら)の前で修学旅行の男子が「かっこええ」と見とれていました
迦楼羅も好きだけど
おばちゃんは婆藪(ばす)仙人も好きだよ
この男子もあと30年くらい経つと婆藪仙人の魅力がわかるかもしれません(?)
ここで通し矢が行われました
始まりは不明なんですけど、秀吉さんの頃にはすでに行われていたようです
120mの距離を弓で射通してその矢数を競った競技で
現在も毎年1月に
通し矢にちなんだ大的大会(おおまとたいかい)が開催されています
今回、秀吉さんの権力の象徴であった
かつての方広寺大仏殿跡周辺を歩いてきました
三十三間堂の南大門から北を見ると
でかい大仏殿がそびえていたんですね
秀吉さんの夢の跡・・・
京の五条から伏見城をつなぐ伏見街道は秀吉さんが整備したもの
五条通と本町通が交差するあたりが街道の起点だといわれています
一方通行の狭い道ですが
総歩数15932歩。消費カロリー390kcal。脂肪燃焼量55.7g。
京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」
豊臣ワールドを歩く~豊国神社&方広寺
豊臣ワールドを歩く~新日吉神宮&三十三間堂
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