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36℃の京都なので
あまり欲張らず京都国立博物館と向かいにある三十三間堂だけにしよう・・・
そう心に決めていましたが
京博の西門を撮影していたらでっかい石を発見!
ちなみに石垣の奥の建物は今年の秋オープンする平成知新館です
こんなところになんででっかい石垣があるのか
城じゃあるまいし
以前「とっぴんぱらりの風太郎」で書きましたが
かつて方広寺の大仏さんがここにいらっしゃったんですね
奈良の大仏さんを凌ぐ大仏・・・
この石垣を見るとその大仏殿の大きさが想像できます
ということで巨大な石垣に導かれて豊国神社へ
唐門です
京都の三大唐門といえば
扁額には「豊国大明神」と記されています
後陽成天皇から賜った神号です
本殿では結婚式が執り行われていました
せっかくなので宝物館へ
大正14年に開館した宝物館には秀吉さんが生前に使用していたものや
豊国祭礼図屏風が展示されています
この豊国祭礼図屏風、昔、教科書で見ました
秀吉さんの7回忌に行われた臨時祭礼がイキイキと描かれていて
一度本物を見たいと思っていました
慶長9年の8月、8日間に渡って行われた盛大な祭礼の様子を
豊臣秀頼の命を受け狩野内膳が描いたもので
11年に豊国神社に奉納されたそうです
この祭礼には秀頼も淀殿も参加していません
豊臣家代表として参加したのは高台院さま
この屏風を見ると淀殿のお怒りというか悪意を感じます
高台院さまをあえてしわくちゃの老尼に描かせているんです
豊国社の下陣で公開されたそうですが
高台院さま、さぞかし悔しかったことでしょう
秀吉さんの13回忌の後に
豊国祭礼図屏風の模本が制作されました
これは高台院さまが新調したもので
ご自分の姿を描き直したと思われます
慶長17年に豊国社の下陣で公開
豊国祭礼図屏風、徳川美術館にあともうひとつあるんですよ
これは豊臣恩顧の大名、蜂須賀家政が岩佐又兵衛に発注したもの
岩佐又兵衛とは洛中洛外図屏風(舟木本)を描いた絵師
茶碗を持って逃亡したあの荒木村重の息子です
たぶんあの赤ちゃんではないでしょうか(ドラマの中ではずっと赤ちゃん?)
制作中に豊臣家滅亡・・・
又兵衛さんのさまざまな思いが込められた屏風だと思われます
ちょっとカビくさい宝物館を出てお隣の方広寺へ
方広寺といっても現在は小さなお堂と
あの「国家安康 君臣豊楽」の鐘が残っているだけです
ご丁寧に印までついています
大仏さんはいなくても
大仏の名前はあちこちに残っています
耳塚の近くにある「甘春堂」でわらび餅を食べ
ふぅふぅ言いながら、36℃の豊臣ワールドをさらに歩きます
・・・・・・・・・・続く
京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」
豊臣ワールドを歩く~豊国神社&方広寺
豊臣ワールドを歩く~新日吉神宮&三十三間堂
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