わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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六道珍皇寺の近くで若い修行僧とすれ違いました
足元を見たら、素足にわらで編んだ草履・・・
六波羅蜜寺でお逢いした空也上人のよう
しかし、踊ることなく、南無阿弥陀仏の念仏を唱えることなく
静かに東の方向に歩いていきました
建仁寺の修行僧です
その建仁寺をめざします
勅使門はクローズしていたので
その横にある通用門を通り
広いお庭を抜けて
本坊で受付を済ませ
広い方丈をめぐります。
建仁寺は
建仁2年(1202年)に将軍源頼家が寺域を寄進し
栄西禅師を開山として
中国百丈山を模して建立されました
臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺です。
今年の1月より
栄西禅師八百年大遠諱の記念行事のひとつである
方丈屋根の葺き替え工事が始まり足場が組まれていて
お庭の景観、ちょっと残念なことになっていましたが
なかなか見ごたえのあるお寺で、おすすめです。
http://www.kenninji.jp/index.php
襖絵「雲龍図」です
海北友松によって
桃山時代に描かれた襖絵です
こちらは、キャノンの高精細デジタル複製
茶席「東陽坊」です
豊臣秀吉が催した北野大茶会で
利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が
担当した副席といわれているそうです
そして
この潮音庭の向こうで
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が
キンキラ輝いています。
オリジナルは京都国立博物館
こちらはキャノンの高精細複製品です。
ガラス越しなので反射してしまいましたが
一応、撮影OKなので
へなちょこのケイタイカメラで撮ってみました。
間近で見ることができ、感激です。
建仁寺は、どうもキャノンの技術の粋が結集されているようです。
こちらはダウン症の書道家
金澤翔子さんの作品
ダイナミックな
風神雷神の書でした
法堂(ほっとう)へ移動
ご本尊の釈迦如来と
脇侍の迦葉尊者と阿難尊者に
手を合わせたら
みんな天井をパシャパシャ撮影です
平成14年に
創建800年を記念して
小泉淳画伯によって
「双龍図」が描かれました
うぉぉ、すごい!
この「双龍図」、畳108枚分の広さで
小泉淳画伯は帯広市郊外の廃校になった学校の体育館で描いたそうです
体育館ならば2階の窓際に回廊があるので
俯瞰して絵を確認することもできますね
しかし、大変な作業だったと思います
そして、天井に貼るのも相当大変だったのではないでしょうか
襖絵といい、天井絵といい
お庭もまさに絵画のようですし
ちょっとした丸窓も雰囲気あります
まさにギャラリーって感じの建仁寺です
半日くらいゆっくりしたいところですが
ただ、板張りってのは、冬はつらいですね
足が、もう冷たいのなんのって・・・。
冬のお寺は厚手の靴下、必需品です
陶板の「風神雷神図」が展示してある
小さめのお部屋には
電気じゅうたんが敷いてあり
みなさん、かじかんだ足を温めていました。
売店の近くでは
熱いお茶のサービスもあって
茶葉が販売されていました
栄西禅師は中国からお茶を伝来し
日本にお茶を広めた方です
さて、さて、売店です。
なかなか魅力的なグッズが目白押しで
同級生とふたり
かなり真剣に品定めしてしまいました。
まずはご朱印帳を2冊ともゲットするか否か・・・
風神雷神は
どうしても欲しいし・・・
雲龍は
やはり来年、辰年ということもあり
縁起物ということで
やはりこれもまたはずせない・・・
ということで
見ての通り
2冊とも買いました
よく売れていましたよ、ご朱印帳
こんな紙袋に入れてくれます
この紙袋
みんなぶら下げていました
グッズもしかり
HPしかり
受付でいただいたリーフレットしかり
http://www.kenninji.jp/ebook/leaflet/_SWF_Window.html?pagecode=1
なかなかハイセンスですね。
休む間もなく
ご朱印書き詰めのおばさん
書きなぐっている感のあるご朱印と
数珠をいただき
両足院をめざします
両足院は建仁寺の敷地内にあります
毘沙門天堂でお参りしたあと
一体、どこで数珠を買えばいいのか
ふたりでうろうろしました
毘沙門天堂の入口に数珠巡礼の看板はあるのですが
どこで購入すればいいのかは書いてありませんので
仕方なく
南側にある本堂のインターンホンを鳴らして
お庫裏さんを呼びました
こちらで購入できました
建仁寺の北の門から出ると
そこは祇園
正面は花見小路です
左に行くと正伝永願院があります
ここに織田信長の弟、織田長益(のちの織田有楽斎)のお墓があります
織田有楽斎といえば
利休さんのお弟子さんで、古田織部らの数寄仲間
NHKアニメ「へうげもの」でお馴染みの南蛮狂いのちょい悪オヤジ・・・
織田有楽斎は隠居の際に
この正伝院を再興し
客殿・庫裡・書院とともに茶室「如庵」を建てました
現在、お庭にある茶室「如庵」は写しです
オリジナルは移転を繰り返し
今は、愛知県犬山市の「有楽苑」に移転
名鉄犬山ホテル敷地内にあります
http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/nyoan.html
六波羅周辺の庶民的な異界エリアから
建仁寺の門をくぐった瞬間
空気が変わりましたね
建仁寺は武士の寺です・・・やはり。
・・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
青春18きっぷ的数珠巡礼~建仁寺・両足院
青春18きっぷ的数珠巡礼~六角堂
足元を見たら、素足にわらで編んだ草履・・・
六波羅蜜寺でお逢いした空也上人のよう
しかし、踊ることなく、南無阿弥陀仏の念仏を唱えることなく
静かに東の方向に歩いていきました
建仁寺の修行僧です
その建仁寺をめざします
その横にある通用門を通り
本坊で受付を済ませ
広い方丈をめぐります。
建仁寺は
建仁2年(1202年)に将軍源頼家が寺域を寄進し
栄西禅師を開山として
中国百丈山を模して建立されました
臨済宗建仁寺派の大本山で、京都最古の禅寺です。
今年の1月より
栄西禅師八百年大遠諱の記念行事のひとつである
方丈屋根の葺き替え工事が始まり足場が組まれていて
お庭の景観、ちょっと残念なことになっていましたが
なかなか見ごたえのあるお寺で、おすすめです。
http://www.kenninji.jp/index.php
海北友松によって
桃山時代に描かれた襖絵です
こちらは、キャノンの高精細デジタル複製
豊臣秀吉が催した北野大茶会で
利休の高弟・真如堂東陽坊長盛が
担当した副席といわれているそうです
この潮音庭の向こうで
俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が
キンキラ輝いています。
こちらはキャノンの高精細複製品です。
ガラス越しなので反射してしまいましたが
一応、撮影OKなので
へなちょこのケイタイカメラで撮ってみました。
間近で見ることができ、感激です。
建仁寺は、どうもキャノンの技術の粋が結集されているようです。
金澤翔子さんの作品
ダイナミックな
風神雷神の書でした
脇侍の迦葉尊者と阿難尊者に
手を合わせたら
みんな天井をパシャパシャ撮影です
創建800年を記念して
小泉淳画伯によって
「双龍図」が描かれました
うぉぉ、すごい!
この「双龍図」、畳108枚分の広さで
小泉淳画伯は帯広市郊外の廃校になった学校の体育館で描いたそうです
体育館ならば2階の窓際に回廊があるので
俯瞰して絵を確認することもできますね
しかし、大変な作業だったと思います
そして、天井に貼るのも相当大変だったのではないでしょうか
お庭もまさに絵画のようですし
ちょっとした丸窓も雰囲気あります
まさにギャラリーって感じの建仁寺です
半日くらいゆっくりしたいところですが
ただ、板張りってのは、冬はつらいですね
足が、もう冷たいのなんのって・・・。
冬のお寺は厚手の靴下、必需品です
小さめのお部屋には
電気じゅうたんが敷いてあり
みなさん、かじかんだ足を温めていました。
売店の近くでは
熱いお茶のサービスもあって
茶葉が販売されていました
栄西禅師は中国からお茶を伝来し
日本にお茶を広めた方です
なかなか魅力的なグッズが目白押しで
同級生とふたり
かなり真剣に品定めしてしまいました。
まずはご朱印帳を2冊ともゲットするか否か・・・
どうしても欲しいし・・・
やはり来年、辰年ということもあり
縁起物ということで
やはりこれもまたはずせない・・・
ということで
見ての通り
2冊とも買いました
よく売れていましたよ、ご朱印帳
この紙袋
みんなぶら下げていました
グッズもしかり
HPしかり
受付でいただいたリーフレットしかり
http://www.kenninji.jp/ebook/leaflet/_SWF_Window.html?pagecode=1
なかなかハイセンスですね。
ご朱印書き詰めのおばさん
書きなぐっている感のあるご朱印と
数珠をいただき
両足院をめざします
毘沙門天堂でお参りしたあと
一体、どこで数珠を買えばいいのか
ふたりでうろうろしました
どこで購入すればいいのかは書いてありませんので
仕方なく
南側にある本堂のインターンホンを鳴らして
お庫裏さんを呼びました
こちらで購入できました
正面は花見小路です
左に行くと正伝永願院があります
ここに織田信長の弟、織田長益(のちの織田有楽斎)のお墓があります
織田有楽斎といえば
利休さんのお弟子さんで、古田織部らの数寄仲間
NHKアニメ「へうげもの」でお馴染みの南蛮狂いのちょい悪オヤジ・・・
織田有楽斎は隠居の際に
この正伝院を再興し
客殿・庫裡・書院とともに茶室「如庵」を建てました
現在、お庭にある茶室「如庵」は写しです
オリジナルは移転を繰り返し
今は、愛知県犬山市の「有楽苑」に移転
名鉄犬山ホテル敷地内にあります
http://www.m-inuyama-h.co.jp/urakuen/nyoan.html
六波羅周辺の庶民的な異界エリアから
建仁寺の門をくぐった瞬間
空気が変わりましたね
建仁寺は武士の寺です・・・やはり。
・・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
青春18きっぷ的数珠巡礼~建仁寺・両足院
青春18きっぷ的数珠巡礼~六角堂
PR
冬の青春18きっぷで
数珠巡礼に行ってまいりました
健脚の同級生と一緒です
久しぶりの京都
家を出るときは、まだ真っ暗でした
西の空高くには十六夜の月・・・
6:38に名古屋を出発して
京都に着いたのが9:13
京都駅から市バスに乗って、五条坂で下車
ここから、歩いて、六波羅蜜寺をめざします。
このあたり、轆轤(ろくろ)町というらしいです。
高校時代に習った「徒然草」・・・
あだし野の露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
住み果つる習ひならば いかにもののあはれもながらん
世は定めなきこそ いみじけれ~
あだし野(化野)や鳥辺野(とりべの)は当時の風葬の地でした。
鳥辺野とは清水寺の南西あたり
ということで、この六波羅あたりにも死体は散乱していたようです。
かつてこの地から髑髏(どくろ)が出土したことから
江戸時代までは髑髏町と呼ばれていました。
お堂の中は人、人、人・・・
団体さんたちが木魚のリズムに合わせて
♪はんにゃ~は~ら~み~た~♪
私たちも
しばし、その輪の中に入れていただきました。
まさに
One of 衆生って感じで
気持ちよく
みんなと声を揃えてお経を唱えました。
お参りしたあと、私たちふたりは宝物館へ。
薬師如来さん、地蔵菩薩さん、四天王
こわいお顔の閻魔大王
弘法さん・・・
そして、やはり空也上人でしょう
醍醐天皇の第二皇子である空也上人は
当時京都で流行していた悪疫退治のため
自ら十一面観音を彫り、それを車に安置して市中を曳き回り
青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て
中に小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け
踊りながら念仏を唱え、病魔を鎮められたといわれています
その空也上人は
異界の入口にこの六波羅蜜寺を開創しました。
来年の大河ドラマの主人公、平清盛さんや
運慶、湛慶親子もいらっしゃいました。
ご朱印と
数珠をいただいて
次なるお寺をめざします
三叉路に
六道の辻の碑が・・・
六道とは
ご存じ
あの六道輪廻の六道です。
生前の行いの善悪によって死後に行先が決まる六つの世界
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
![saihukuji.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e6aa702847a29ebb20822f8e02ec8157/1323695303?w=150&h=112)
この六道の辻と
呼ばれるところに
弘法さんが辻堂を建立しました
それが
ここ西福寺(さいふくじ)。
ご本尊の六波羅地蔵は弘法さんの自作だそうです。
嵯峨天皇の后である檀林皇后が
子供の病気平癒を祈願したことから
子育て観音として信仰を集めています。
西福寺から東へ
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)をめざします。
門前には
やはり六道の辻。
京都関連の本を読んでいると
ちょこちょこお見かけするお方がいらっしゃいまして
私、かねてより、非常に気になっておりました。
その方の名は・・・
小野篁(おのたかむら)さんです。
平安時代前期の官人であり
学者であり、歌人です。
そして、あの遣隋使、小野妹子の子孫だそうです。
そして、そして
小野小町の父親?いや祖父?なんていう説もあるらしく・・・
この小野篁さん、日中は朝廷の役人
そしてアフター5は・・・
なんと冥土で、閻魔大王の裁判のサポートしていたという
アンビリーバブルなお方・・・
私、一度、小野篁さんが毎晩通ったという
異界の入口だった井戸を見たい!と思っていました。
遠くからですが
右手側にその井戸があります
閻魔大王と小野篁さんの木像ものぞいてきました。
暗くて、よく見えませんでしたが
小野篁さん、でっかい人です。
閻魔大王は小野篁さんの自作だそうです。
これ、鐘楼です。
鐘は見えません
手前の穴から出ている綱を引っ張って
静かに戻すと、いい音がします。
毎年盂蘭盆会の8月7~10日は
冥土にも届くといわれる「迎鐘」を撞いて
ご先祖さまの精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわうそうです。
ご朱印と
数珠をいただいて
幽霊子育飴を買いました
西福寺の前に
幽霊子育本舗という
飴屋さんがあります
これが幽霊子育飴です
おそろしい名前ですが
素朴な麦芽糖の飴です
慶長四年(1599年)のこと
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上がったところに
一軒の飴屋がありました
ある日の夕暮
主人が店じまいをしていたら、若い女が飴を買いに来ました
以来、その女は毎晩、飴を買いにくるようになり
お店の主人、どうも様子が怪しいと
ある晩、その女の後をつけたら、なんと鳥辺野の墓場に消えました
住職さんと最近埋葬された女の墓を掘り起こすと・・・
墓の中に生きた赤ん坊がおりました
そしてその脇にはあの飴が・・・
幽霊となった母親が赤ん坊を育てていたのでした
ということで
この飴屋さん、当時は六道珍皇寺の近くにありましたが
西福寺の前に移転したようです。
しかし、今日は、定休日なのかカーテンが閉まっていましたので
委託販売をしている六道珍皇寺の近くの電器屋さんで購入。
移転する前の飴屋さんがあったところでしょうか?
桓武天皇は
疫病やら天変地異やら国が乱れているのは
弟の早良親王やら近親者の怨霊のなせる祟りと思い
その怨霊と対峙し
陰陽師の呪術を配した平安京を創り上げました。
私たちの目には見えませんが
京都の街には魑魅魍魎たちがうろうろしているのかも。
この六波羅周辺もまた・・・
昼間はなんだかおもしろい異界テーマパークですが
夜になると
清水寺の南あたりから
す~っと怨霊が降りてきて
この六道の辻あたりをうろうろする
実はかな~り怖ろしいエリアかもしれません。
私たち、なんと2体の閻魔大王にお逢いし
小野篁さんにもお逢いしまいましたが
地獄に連れ込まれることなく
無事、この後もお寺めぐりを続けることができました
・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
青春18きっぷ的数珠巡礼~建仁寺・両足院
青春18きっぷ的数珠巡礼~六角堂
数珠巡礼に行ってまいりました
健脚の同級生と一緒です
久しぶりの京都
家を出るときは、まだ真っ暗でした
西の空高くには十六夜の月・・・
6:38に名古屋を出発して
京都に着いたのが9:13
京都駅から市バスに乗って、五条坂で下車
ここから、歩いて、六波羅蜜寺をめざします。
このあたり、轆轤(ろくろ)町というらしいです。
高校時代に習った「徒然草」・・・
あだし野の露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
住み果つる習ひならば いかにもののあはれもながらん
世は定めなきこそ いみじけれ~
あだし野(化野)や鳥辺野(とりべの)は当時の風葬の地でした。
鳥辺野とは清水寺の南西あたり
ということで、この六波羅あたりにも死体は散乱していたようです。
かつてこの地から髑髏(どくろ)が出土したことから
江戸時代までは髑髏町と呼ばれていました。
団体さんたちが木魚のリズムに合わせて
♪はんにゃ~は~ら~み~た~♪
私たちも
しばし、その輪の中に入れていただきました。
One of 衆生って感じで
気持ちよく
みんなと声を揃えてお経を唱えました。
お参りしたあと、私たちふたりは宝物館へ。
薬師如来さん、地蔵菩薩さん、四天王
こわいお顔の閻魔大王
弘法さん・・・
そして、やはり空也上人でしょう
醍醐天皇の第二皇子である空也上人は
当時京都で流行していた悪疫退治のため
自ら十一面観音を彫り、それを車に安置して市中を曳き回り
青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て
中に小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け
踊りながら念仏を唱え、病魔を鎮められたといわれています
その空也上人は
異界の入口にこの六波羅蜜寺を開創しました。
来年の大河ドラマの主人公、平清盛さんや
運慶、湛慶親子もいらっしゃいました。
数珠をいただいて
次なるお寺をめざします
六道の辻の碑が・・・
六道とは
ご存じ
あの六道輪廻の六道です。
生前の行いの善悪によって死後に行先が決まる六つの世界
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
呼ばれるところに
弘法さんが辻堂を建立しました
それが
ここ西福寺(さいふくじ)。
ご本尊の六波羅地蔵は弘法さんの自作だそうです。
子供の病気平癒を祈願したことから
子育て観音として信仰を集めています。
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)をめざします。
やはり六道の辻。
京都関連の本を読んでいると
ちょこちょこお見かけするお方がいらっしゃいまして
私、かねてより、非常に気になっておりました。
小野篁(おのたかむら)さんです。
平安時代前期の官人であり
学者であり、歌人です。
そして、あの遣隋使、小野妹子の子孫だそうです。
そして、そして
小野小町の父親?いや祖父?なんていう説もあるらしく・・・
この小野篁さん、日中は朝廷の役人
そしてアフター5は・・・
なんと冥土で、閻魔大王の裁判のサポートしていたという
アンビリーバブルなお方・・・
私、一度、小野篁さんが毎晩通ったという
異界の入口だった井戸を見たい!と思っていました。
右手側にその井戸があります
閻魔大王と小野篁さんの木像ものぞいてきました。
暗くて、よく見えませんでしたが
小野篁さん、でっかい人です。
閻魔大王は小野篁さんの自作だそうです。
鐘は見えません
手前の穴から出ている綱を引っ張って
静かに戻すと、いい音がします。
毎年盂蘭盆会の8月7~10日は
冥土にも届くといわれる「迎鐘」を撞いて
ご先祖さまの精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわうそうです。
数珠をいただいて
幽霊子育飴を買いました
幽霊子育本舗という
飴屋さんがあります
素朴な麦芽糖の飴です
慶長四年(1599年)のこと
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上がったところに
一軒の飴屋がありました
ある日の夕暮
主人が店じまいをしていたら、若い女が飴を買いに来ました
以来、その女は毎晩、飴を買いにくるようになり
お店の主人、どうも様子が怪しいと
ある晩、その女の後をつけたら、なんと鳥辺野の墓場に消えました
住職さんと最近埋葬された女の墓を掘り起こすと・・・
墓の中に生きた赤ん坊がおりました
そしてその脇にはあの飴が・・・
幽霊となった母親が赤ん坊を育てていたのでした
ということで
この飴屋さん、当時は六道珍皇寺の近くにありましたが
西福寺の前に移転したようです。
しかし、今日は、定休日なのかカーテンが閉まっていましたので
委託販売をしている六道珍皇寺の近くの電器屋さんで購入。
移転する前の飴屋さんがあったところでしょうか?
桓武天皇は
疫病やら天変地異やら国が乱れているのは
弟の早良親王やら近親者の怨霊のなせる祟りと思い
その怨霊と対峙し
陰陽師の呪術を配した平安京を創り上げました。
私たちの目には見えませんが
京都の街には魑魅魍魎たちがうろうろしているのかも。
この六波羅周辺もまた・・・
昼間はなんだかおもしろい異界テーマパークですが
夜になると
清水寺の南あたりから
す~っと怨霊が降りてきて
この六道の辻あたりをうろうろする
実はかな~り怖ろしいエリアかもしれません。
私たち、なんと2体の閻魔大王にお逢いし
小野篁さんにもお逢いしまいましたが
地獄に連れ込まれることなく
無事、この後もお寺めぐりを続けることができました
・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
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