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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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40年ほど前に
朝日hositomaturi1.jpg新聞朝刊で連載された新聞小説です。
hositomaturi2.jpg





星と祭上〉 (角川文庫)
星と祭 下 新装版 (2) (角川文庫 い 5-5)

 
感動しました。
久しぶりに泣きながら本を読みました。
 
娘を琵琶湖で亡くした父親が
湖北の十一面観音さんに出会い
悲しみから立ち直っていくというお話です。
 
17歳の娘さんが男性と遭難したのは
竹生島(ちくぶしま)のあたり。
突風でボートが転覆してしまいました。
 
この竹生島は大河ドラマ「江」でも出てきましたね。
 
最近の小説って
無難にまとまってはいるんですが
どうも心に響かないんですよね。
 
さすが井上靖さんです
文章が心に染みるというのは
まさに、こういうことなんだ、と。

いい小説を読ませていただきました。
 
私も地図をなぞりながら湖北の十一面観音さんをまわりました。
向源寺、石道寺、医王寺・・・
ずっと手を合わせながら、祈りながら読みました。
 
おかげで、私も共に救われました。
 
図書館で借りた本なのですが
たくさんの方が読んだのでしょう
背綴じがぼろぼろになっていました。
 
この小説で
湖北の十一面観音さん、一躍有名になりましたね。

私、ますます十一面観音さんが好きになりました。
 










 
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東寺町をさらに東へ。
 
芸術創造センターから布池公園
そして布池教会あたりが南の端っこで
ここより北が御下屋敷です。
ositayasiki.jpg






尾張徳川藩7代藩主の徳川宗春さま
8代将軍徳川吉宗の倹約経済政策に立ち向かい失脚。

幕府より、蟄居を命ぜられたのが1739年
吉宗が死去し、1754年に名古屋城三の丸から御下屋敷に移ります。
そして、御下屋敷で1764年に死去。享年69。
なんと25年も幽閉されていたんですね。
 
nunoikekoen.jpgその御下屋敷
今は
園児たちがお遊戯をしたり@布池公園




nunoikekyokai.jpgアーメンな
布池教会などに生まれ変わっています。
 







higasikusuitosaki.jpg布池教会を北上。
水筒先北の歩道橋でしばし休憩。
 
この水筒先(すいとうさき)という地名。
建中寺の構内の堀から
湧き出る清水をわたす樋(とい)があったことから
この町名が起こったとのこと。
 
kurumamiti.jpgちなみに歩道橋から東の方向
愛知大学(真ん中のビル)がありますが
このあたりの町名は車道(くるまみち)です。

御下屋敷造営の際
東山あたりから石材を運ぶのに
車を引いて通ったところから
この町名がつけられたようです。
 
水筒先北の交差点を北上し
左は代官町商店街、右は筒井町商店街の交差点を
筒井町商店街の方向に右折。
 
kenchujisomon.jpgすると建中寺です。
これ、総門。
 




kenchujisanmon.jpg総門をくぐると
そこは公園になっていて
公園を過ぎ
道路を渡ると
三門です。
 


kenchujimonaoi.jpgここは
尾張徳川の菩提寺です。
http://www.kenchuji.com/main.html
 




御下屋敷で亡くなった宗春さまもここ建中寺に埋葬されました。
 
が、幕府は、亡くなった後も宗春さまを許しませんでした。
お墓にまで金網をかけたそうです。
その金網がはずされたのはなんと75年後。
今は、平和公園で眠っていらっしゃいます。
 
その宗春さま
NHK名古屋のデジタルキャラクターになっています。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/ti_degi/08-mune/index.html
ちょっといぢられ過ぎなむねハルくん。
 
建中寺のすぐ隣には幼稚園があって
可愛いお子らの声が境内に響いて
のどかないいお寺さんでした。
 
kenchujikyozo.jpg鐘楼を過ぎると
白い経蔵が見えてきました。
一切経が収められています。
 






kenchujihudo.jpg不動明王が祀ってある明王堂です。
毎月28日は縁日のご祈祷があるそうです。
あ、今日だったんですね。残念。
 




kenchujihondo.jpg本堂です。
なんと、お彼岸ということで
三間四面の大觀經曼陀羅が
公開されていました。
ありがたいことです。
 


kenchujihondoumeki.jpg本堂の東西の回廊
よ~く見ると
白いプレートが貼ってありますよね。
 




このプレートの上に埋め木があしらわれています。
柱の節を縁起物や動物などでデザイン的に形作り、埋め込んであります。
当時の大工さんの技、おしゃれです。
もったいない精神ですね。
kenchujiaoi.jpgkenchujibudo.jpgkenchujikikyo.jpg

 




kenchujikoban.jpgkenchujikomori.jpgkenchujishogi.jpg







埋め木が取れた?
それとも虫食い?と思いきや・・・

kenchujihoju.jpgkenchujiinome.jpg

 





kenchujigoshuin.jpg若いおねえさんに
ご朱印をいただきました。
 







yonenji.jpgここから西に向かって歩きます。
平田町の交差点を過ぎたあたりで南下すると
養念寺があります。
ここは
宗春さまの母上ゆかりのお寺だそうです。
 


e5d5ebb4.jpegこのあたりをぶらぶら歩いていたら
鍋屋通りに迷い込みました。
「紫金堂」というギャラリーが・・・。
なんでも尾張藩の鋳物師
加藤忠三郎さんのお宅だそうです。
今の当主は12代目だそうです。
http://www.chuzabro.jp/index1.htm
 
mizunotarozaemonteiato.jpgこちらは尾張藩鋳物師頭の水野太郎左衛門宅跡です。
織田信長により
尾張国中の鐘、鰐口などを鋳造する特権を与えられ
江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々務め
なんと国内の鋳物の製造・販売は
すべてこの家を経たということです。

羽振りよかったんでしょうね、水野太郎佐衛門さん。
現在は、金物店です・・・。


laopasa.jpg 鍋屋通りを南に折れたら
シンガポール料理のレストランを発見しました。
 
ラオ・パサ
http://www.1egg2minds.com/laopasa.html
 



laopasahainan.jpg久しぶりに
海南鶏飯(ハイナンジーファン)を食べました。
シンガポールの代表的な料理です。
 




さらに南下。
 
高岳(たかおか)交差点の北にある
高岳院(こうがくいん)へ。
6歳で亡くなった徳川家康の8男、仙千代の菩提を弔うために
甲斐から清洲へ、さらに名古屋に移したお寺だそうです。
 
桜通久屋の交差点まで歩き地下街へ。
地下街をうろうろして帰宅。
 
17910歩。消費カロリーは422.3㎉。脂肪燃焼量60.3g。
 
何にも知らずに歩いていると
見逃してしまいそうですが
古地図で歩くと、そこかしこに江戸時代に出会えます。
 
町名にも江戸時代はしっかりと息づいていました。








 
 
プーマとともに
久しぶりのてくてく尾張名古屋です。
 
栄から、東寺町を通って
建中寺まで歩くコースです。
 
2011926postharu.jpgスタートは
やはりポスト宗春でしょう。


錦三から、テレビ塔へ。





2011926terebito.jpg地デジに移行し
電波塔としての役割を終えた今
残すか否か検討中です。
 
でも
ここにテレビ塔がないと寂しい・・・
 



oasis21.jpgオアシス21を見て・・・
あ、これ、水の宇宙船らしいです。
 





県美術館を左折、NHKビルへ。
ここで、トイレ拝借。
 
大河ドラマ「江」の京極龍子さまが
10月28日、NHK名古屋にいらっしゃるらしいです。
 
私、小マダムな京極龍子さまのファンです。
http://www9.nhk.or.jp/go/movie/index.html
 
NHKビルを東に折れ
ずんずん歩いて東寺町へ。
 
ganshoji.jpg含笑寺です。
含笑寺という寺号だけでも
なんだか笑えちゃうのですが
門柱の書体が寄席文字なんですね。

←ちょっと見にくいですね。

歌丸さんの笑点のテーマソング
♪チャンチャカチャカチャカ チャンチャン♪を
口ずさみながら門をくぐると・・・
本堂の戸が開いていて
住職さんに「おいで、おいで」と呼ばれました。
 
住職さんと30分くらいお話しました。

東寺町は、名古屋城築城に伴い
清洲越で移転したお寺さんを集めたエリアで
いわゆる名古屋城を守るための塀のような役割を果たしていたんだそうです。
 
資料までいただきありがとうございました。
 
nobonagasobohaka.jpgこのお寺さんは織田信長の父・信秀の母
つまり信長の祖母を弔うために建立されたもので
その戒名が「含笑院殿茂嶽涼繁大禅定尼」で
それが寺号になったそうです。
いつもにこにこした温和な方だったんでしょうね。

←一番右の小さい石塔が信長のおばあちゃんのお墓。
 
ここ含笑寺は、「落語の寺」としても知られています。
落語の会があるらしいです。
だからだわ、住職さん、お話がお上手でしたもん
まるで歌丸さんのように。
 
higasiterayagumo.jpg民芸割烹八雲がある通りは
法華寺通りと呼ばれているらしいのですが
この通りは
日蓮宗のお寺さんが集まっています。
 


higasitetasinnyoji.jpghigasiterajorenji.jpghigasiterahorinji.jpg






真柳寺           浄蓮寺           法輪寺

higasiterashoenji.jpg中でも照遠寺は
仁王門まであって古そう・・・。
 





もともとは稲沢にあったお寺で1478年に創建。
織田信雄(信長の次男)が1586年に清洲に移転させ
1610年の清洲越で今の場所に移転
その後、宗春さまにより葵の御紋を許され・・・
しかし、火事やら、震災やら、伊勢湾台風やらで大破し
結局、楼門だけが建立当時のものだそうです。
 
higasiterashoenjinion.jpghigasiterashoenjinioa.jpgあうんの仁王像

火事にも負けず
地震にも負けず
台風にも負けず
がんばったんですね。
 



私、がんばりすぎて、まじ、筋肉痛、やばいです。

 
・・・・・・・・・・続く
 
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