わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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今日は朝から
色鮮やかに彩色された鑑真和上のお姿を
テレビで、新聞で拝見することができました
今年は鑑真和上の1250年忌
その年忌に合わせて
唐招提寺は8世紀に造られた国宝の坐像を摸造した
「お身代わり像」を制作することになり
その彩色作業が終わったので、昨日、公開されました
袈裟の模様や布の縫い目も緻密に再現されています
が、この色鮮やかな鑑真和上
この後、経年変化を反映させて古びた色合いに仕上げられ
6月5日に開眼供養され7日から一般公開されます
先週26日に発売された月刊誌「一個人5月号」
「奈良 古寺の謎を旅する」をテーマに
興福寺、東大寺、新薬師寺、薬師寺、唐招提寺
法隆寺周辺、金峯山寺、飛鳥寺が紹介されています
なかなか面白い企画で
発掘された遺構やさまざまな資料をもとに
創建当時のお堂や伽藍がCGで再現されていて
かつてはこんなに大きなお寺だったのか、と感動しながら読みました
唐招提寺は
奈良国立博物館の西山厚先生の監修による記事でした
鑑真和上が日本への渡航を決意したのは
「聖徳太子は中国高僧の生まれ変わり」という伝説だったそうです
ご存じのように何度も失敗します
この過酷な旅の途中で失明したと学校で習いました・・・
が、何年か前に
「鑑真奉請経巻状」の中の、「部」の字のおおざとから
この書状を書いた時点では失明していなかったのではないか?
完全に失明したのは渡来してから6年後?という
西山先生の説を読みました
その書状も掲載されています
今回の企画の中で
最も面白かったのは、新薬師寺でした
2、3年前に
NHK「歴史秘話ヒストリア」で
幻の大寺院、新薬師寺を復元するという特集がありまして・・・
現在は、本堂がぽつねんと残っているだけの新薬師寺ですが
建立当時は「七仏薬師」を安置するという巨大な金堂があったというのを知って
たまげた記憶があります
その復元プロジェクトチーム監修による
金堂及び金堂内の仏像がCGで再現されています
七仏薬師?
現在はお目々ぱっちりの薬師如来さんが1体しか残っていませんが
当初は、なんと7体もあって
それぞれに脇侍の日光&月光観音さんがいらっしゃって・・・
ちょっと待ってください、整理しますね
つまり薬師三尊像が7セットで計21体
その7薬師の両隣にあの十二神将を6体ずつ配して計12体
そして一番端っこに四天王を2体ずつ配して計4体
なんと合計37体もの仏像が並んでいたというではないですか
現在のお堂からは
全く想像できません・・・
聖武天皇のために
光明皇后、ものすごい寺院を造ったんですね
そして・・・
平成30年に竣工予定の興福寺中金堂も
発掘調査をもとにCGで再現されていました
平成10年から5年かけて行われた中金堂の発掘調査
その発掘に携わった
奈良文化財研究所の馬場基先生にも取材されたようで
コメントが掲載されていました
興福寺の建物は
多少規模は拡大しますが
様式は古様をそのまま残して再建されたそうです
例えば東大寺の南大門は
その時代の最先端の建築様式を取り入れて再建されていますが
興福寺は創建当初の姿を守って何度も再建されました
さすが藤原氏・・・ですね
一個人恒例の
プレゼントコーナーです
私、膨大な量のアンケートの設問に答えて
先週末、ポストに投函いたしました
今まで一度も当たったためしのない一個人のプレゼントコーナー
今回はハガキのド真ん中に阿修羅さんを印仏して送りました
さて阿修羅さんのご利益やいかに・・・
いよいよ明日から
JR東海「うましうるわし奈良」の新キャンペーンがスタートします
ウェブサイトはすでに更新されていますね
テレビCMを見ながら
毎晩、南円堂と北円堂をめぐりめぐります
色鮮やかに彩色された鑑真和上のお姿を
テレビで、新聞で拝見することができました
今年は鑑真和上の1250年忌
その年忌に合わせて
唐招提寺は8世紀に造られた国宝の坐像を摸造した
「お身代わり像」を制作することになり
その彩色作業が終わったので、昨日、公開されました
袈裟の模様や布の縫い目も緻密に再現されています
が、この色鮮やかな鑑真和上
この後、経年変化を反映させて古びた色合いに仕上げられ
6月5日に開眼供養され7日から一般公開されます
先週26日に発売された月刊誌「一個人5月号」
「奈良 古寺の謎を旅する」をテーマに
興福寺、東大寺、新薬師寺、薬師寺、唐招提寺
法隆寺周辺、金峯山寺、飛鳥寺が紹介されています
なかなか面白い企画で
発掘された遺構やさまざまな資料をもとに
創建当時のお堂や伽藍がCGで再現されていて
かつてはこんなに大きなお寺だったのか、と感動しながら読みました
唐招提寺は
奈良国立博物館の西山厚先生の監修による記事でした
鑑真和上が日本への渡航を決意したのは
「聖徳太子は中国高僧の生まれ変わり」という伝説だったそうです
ご存じのように何度も失敗します
この過酷な旅の途中で失明したと学校で習いました・・・
が、何年か前に
「鑑真奉請経巻状」の中の、「部」の字のおおざとから
この書状を書いた時点では失明していなかったのではないか?
完全に失明したのは渡来してから6年後?という
西山先生の説を読みました
その書状も掲載されています
今回の企画の中で
最も面白かったのは、新薬師寺でした
2、3年前に
NHK「歴史秘話ヒストリア」で
幻の大寺院、新薬師寺を復元するという特集がありまして・・・
現在は、本堂がぽつねんと残っているだけの新薬師寺ですが
建立当時は「七仏薬師」を安置するという巨大な金堂があったというのを知って
たまげた記憶があります
その復元プロジェクトチーム監修による
金堂及び金堂内の仏像がCGで再現されています
七仏薬師?
現在はお目々ぱっちりの薬師如来さんが1体しか残っていませんが
当初は、なんと7体もあって
それぞれに脇侍の日光&月光観音さんがいらっしゃって・・・
ちょっと待ってください、整理しますね
つまり薬師三尊像が7セットで計21体
その7薬師の両隣にあの十二神将を6体ずつ配して計12体
そして一番端っこに四天王を2体ずつ配して計4体
なんと合計37体もの仏像が並んでいたというではないですか
現在のお堂からは
全く想像できません・・・
聖武天皇のために
光明皇后、ものすごい寺院を造ったんですね
そして・・・
平成30年に竣工予定の興福寺中金堂も
発掘調査をもとにCGで再現されていました
平成10年から5年かけて行われた中金堂の発掘調査
その発掘に携わった
奈良文化財研究所の馬場基先生にも取材されたようで
コメントが掲載されていました
興福寺の建物は
多少規模は拡大しますが
様式は古様をそのまま残して再建されたそうです
例えば東大寺の南大門は
その時代の最先端の建築様式を取り入れて再建されていますが
興福寺は創建当初の姿を守って何度も再建されました
さすが藤原氏・・・ですね
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さて阿修羅さんのご利益やいかに・・・
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