わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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北野天満宮の東門から出ると
そこは上七軒です
室町時代に北野天満宮を再建する際
残材で7軒の茶店を建てたのが
その名前の由来だそうです
私たちはこの上七軒ではなく
その北にある五辻通を歩いて
千本釈迦堂へ
正式名称は大報恩寺
最近、数珠巡礼に参加したお寺です
ご本尊はもちろん釈迦如来
快慶の弟子、行快作の釈迦如来は秘仏のため
お厨子は固く閉じられていました
こちらの本堂は国宝です
京都最古の建物だそうです
つまりあの応仁の乱で焼けなかったんです
千本釈迦堂のあるエリアの東は西陣です
応仁の乱の西軍の大将
山名宗全が陣を置いたとされたことが地名の由来だそうです
千本釈迦堂は
その西軍の本営があったために焼けなかったようですね
お堂の柱には当時の刀傷が残っています
本堂の手前にある大きなしだれ桜
おかめ桜です
その近くに
おかめさんが
座っていらっしゃいました
こちらのお寺にはおかめ伝説というのがありまして・・・
本堂造営の際に
棟梁の高次が柱の1本だけを間違えて短く切ってしまったらしく
あぁぁぁぁどうしよう・・・と悩んでいたそうです
そこで妻のおかめは
その短い柱の寸法に合わせて全部切ってしまえばいいんじゃないですか?と
助言します
その妻のひと言で無事、本堂は落成しました
しかし、おかめさん
女のひと言でこのお堂が完成したとなると
これは夫に恥をかかせることになるんじゃないか・・・と杞憂して
上棟式の前日に命を絶ちます
おかめさん、妻の鑑ですね
本堂の奥には数多くのおかめ人形が展示されていました
愛嬌のあるものもありますが、かなりエグいものもあって
今日の空のようにどよ~んとした気分になってしまいました
このおかめ気分を払拭するために
霊宝殿に急ぎました
心が洗われるような六観音がいらっしゃいました
聖観音、千手観音、十一面観音
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音
あの慶派の定慶の作だと言われています
見ごたえありましたね
快慶の晩年の作と言われている
十大弟子も並んでいらっしゃいました
そして・・・
私があづま袋に印仏した誕生釈迦仏もいらっしゃいました
ガラスケース入りです
私はナイスバディなセリーヌ・ディオンを想定して彫りましたが
実物を見たら
お腹まわりは幼児体型でした・・・
ここから北上して
千本ゑんま堂へ
正式名称は引接寺(いんじょうじ)
ご本尊は閻魔法王です
京都で閻魔さまといえば
やはりあのお方のお出ましとなります
昼は宮中で、夜は冥府で閻魔さまをサポートしていた
あの小野篁さんです
こちらの閻魔さまを自ら刻みこのお寺を建立しました
この地蔵菩薩池では
毎年旧盆に
水塔婆を流し鐘をついて「おしょらいさん」を迎え
8月16日にお精霊送りをするという風習があるようです
なぜか紫式部の供養塔がありました
とにかく今回は
伝説が盛りだくさんです
さらにディープな京都をめざします
こちらは西陣にある石像寺
京都1200年の旅でも紹介されていた
あの釘抜き地蔵です
石像寺は空海によって創建されたお寺
空海さんが唐から持ち帰った石に彫ったとされる地蔵菩薩
諸々の苦しみを抜き取ってくださるということで
「苦抜き地蔵」と呼ばれるように
その後、「くぬき」が「くぎぬき」になり釘抜き地蔵となったようです
身体や心の痛みに苦しむ人たちが
「治りますように」と願をかけ
無事その苦痛から解放された暁には
八寸釘と釘抜きを貼りつけた絵馬を
奉納する習わしとなりました
京都1200年の旅では
尾上松也さんは年齢の数だけ
お堂の周囲をまわっていましたが
私たち、年齢の数だけまわっていたら日が暮れそうなので
1周だけまわり
てかてかになったお地蔵さんを撫でて
先を急ぎました
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
そこは上七軒です
室町時代に北野天満宮を再建する際
残材で7軒の茶店を建てたのが
その名前の由来だそうです
私たちはこの上七軒ではなく
その北にある五辻通を歩いて
千本釈迦堂へ
正式名称は大報恩寺
最近、数珠巡礼に参加したお寺です
ご本尊はもちろん釈迦如来
快慶の弟子、行快作の釈迦如来は秘仏のため
お厨子は固く閉じられていました
こちらの本堂は国宝です
京都最古の建物だそうです
つまりあの応仁の乱で焼けなかったんです
千本釈迦堂のあるエリアの東は西陣です
応仁の乱の西軍の大将
山名宗全が陣を置いたとされたことが地名の由来だそうです
千本釈迦堂は
その西軍の本営があったために焼けなかったようですね
お堂の柱には当時の刀傷が残っています
本堂の手前にある大きなしだれ桜
おかめ桜です
その近くに
おかめさんが
座っていらっしゃいました
こちらのお寺にはおかめ伝説というのがありまして・・・
本堂造営の際に
棟梁の高次が柱の1本だけを間違えて短く切ってしまったらしく
あぁぁぁぁどうしよう・・・と悩んでいたそうです
そこで妻のおかめは
その短い柱の寸法に合わせて全部切ってしまえばいいんじゃないですか?と
助言します
その妻のひと言で無事、本堂は落成しました
しかし、おかめさん
女のひと言でこのお堂が完成したとなると
これは夫に恥をかかせることになるんじゃないか・・・と杞憂して
上棟式の前日に命を絶ちます
おかめさん、妻の鑑ですね
本堂の奥には数多くのおかめ人形が展示されていました
愛嬌のあるものもありますが、かなりエグいものもあって
今日の空のようにどよ~んとした気分になってしまいました
このおかめ気分を払拭するために
霊宝殿に急ぎました
心が洗われるような六観音がいらっしゃいました
聖観音、千手観音、十一面観音
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音
あの慶派の定慶の作だと言われています
見ごたえありましたね
快慶の晩年の作と言われている
十大弟子も並んでいらっしゃいました
そして・・・
私があづま袋に印仏した誕生釈迦仏もいらっしゃいました
ガラスケース入りです
私はナイスバディなセリーヌ・ディオンを想定して彫りましたが
実物を見たら
お腹まわりは幼児体型でした・・・
ここから北上して
千本ゑんま堂へ
正式名称は引接寺(いんじょうじ)
ご本尊は閻魔法王です
京都で閻魔さまといえば
やはりあのお方のお出ましとなります
昼は宮中で、夜は冥府で閻魔さまをサポートしていた
あの小野篁さんです
こちらの閻魔さまを自ら刻みこのお寺を建立しました
この地蔵菩薩池では
毎年旧盆に
水塔婆を流し鐘をついて「おしょらいさん」を迎え
8月16日にお精霊送りをするという風習があるようです
なぜか紫式部の供養塔がありました
とにかく今回は
伝説が盛りだくさんです
さらにディープな京都をめざします
こちらは西陣にある石像寺
京都1200年の旅でも紹介されていた
あの釘抜き地蔵です
石像寺は空海によって創建されたお寺
空海さんが唐から持ち帰った石に彫ったとされる地蔵菩薩
諸々の苦しみを抜き取ってくださるということで
「苦抜き地蔵」と呼ばれるように
その後、「くぬき」が「くぎぬき」になり釘抜き地蔵となったようです
身体や心の痛みに苦しむ人たちが
「治りますように」と願をかけ
無事その苦痛から解放された暁には
八寸釘と釘抜きを貼りつけた絵馬を
奉納する習わしとなりました
京都1200年の旅では
尾上松也さんは年齢の数だけ
お堂の周囲をまわっていましたが
私たち、年齢の数だけまわっていたら日が暮れそうなので
1周だけまわり
てかてかになったお地蔵さんを撫でて
先を急ぎました
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
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