わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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午後からは雨・・・
それを呪文のように唱えながら
精力的に歩き、午前中に予定のほぼ90%をこなしました
道に迷うこともなく非常にスムーズにまわることができました
釘抜き地蔵の近くでランチして
今回の旅のエンディングを飾るべく
最終目的地まで歩きました
大将軍八神社でスタートした旅ですから
締めはやはり晴明神社ですよね
御所の鬼門をめざします
さすが晴明神社
映画効果は今なお続いています
境内には若者も多いです
あそこにも
ここにも晴明桔梗印
万物は
木・火・土・金・水の五行からなるとする
陰陽五行説
晴明が考案した
魔除けの呪符です
こちらは晴明井です
立春になると神職さんが井戸の上部を回転させて
その年の恵方へ口を向けるそうです
今年は南南東でしたね
この地は、千利休の屋敷跡でもあり
こちらの霊水でお茶を点てたそうです
着物を着た若いお嬢さんもお参りしていました
旧一條戻橋の脇に立つ
式神にご挨拶
本殿横にいらっしゃる
安倍晴明さんにもご挨拶
晴明さん
今日も天空を仰いでいらっしゃいます
「そろそろ降ってきそうだね」
厄除桃を撫で
樹齢推定300年というご神木に
両手をあててお願いをしました
さて・・・
神社の隣にある田島織物をのぞいてみました
去年、訴訟問題にまで発展した例のお土産屋さんです
店内にはごっちゃりと
晴明さん関連グッズも含め
さまざまなグッズが並んでいます
特に欲しいものもなく
境内にある晴明神社公認の桔梗庵へ
「うちのはご祈祷済ですよ」
「奇跡がどんどん起きていますよ」
お店のおばちゃんは盛んに宣伝をされていましたが
結局、欲しいものはなく神社を後にしました
と、京都駅行きのバスが・・・
走って飛び乗りました
四条あたりで晴明さんの予報通り雨が降り始めました
おばちゃんの「奇跡がどんどん起きてますよ」のひと言につられて
グッズを買っていたら
バスにも乗れず雨にも降られ・・・
晴明さんは地上の争い事にはなんの興味もないんですよ
今回はとても濃~い旅になりました
大将軍神、菅原道真公
六観音、閻魔法王
釘抜き地蔵、安倍晴明
改めて1000年の都・京都を感じずにはいられませんでした
桓武天皇は平城京から長岡京に遷都
しかしその長岡京を10年で廃して
平安京に遷都しました
洪水説、怨霊説・・・いろいろありますが・・・
先日、NHKでオンエアされた「アテルイ伝」を見て思いましたが
桓武天皇って、結構、細かい指示を出しているんですよね
NHKの仲麻呂のクーデターの番組で
奈文研の渡辺室長率いる渡辺小劇場の「鈴印争奪戦」でも
桓武天皇、出演されていましたが
よくよく考えたら桓武天皇って官僚生活長いです
実務経験もあり
豊富な知識、経験をもとに長岡京に遷都したけれども
思うように進まず廃都
今度こそは自分なりの都を作ろうと
並々ならぬ思いで平安京に遷都したんでしょう
その平安京は
災害はもとより、あの応仁の乱で焼野原になったりと
滅亡の危機に瀕してもきちんと復興しているんですよね
今回、京都を歩いて
その桓武天皇が平安京にめぐらせたパワーみたいなもの
京をがっちり守ろうという強い思い
少しだけですが垣間見えたような気がしました
とっても楽しい旅でした
数珠は1個しかゲットできませんでしたが・・・
京都駅から2時半すぎのJRに乗って
米原、大垣で乗り継いで帰宅したのは6時前
無理せず、しかし中身は濃く・・・
少しずつ青春18きっぷの旅もこなれてきましたよ
総歩数13365歩。消費カロリー313.3kcal。脂肪燃焼率44.7g。
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
それを呪文のように唱えながら
精力的に歩き、午前中に予定のほぼ90%をこなしました
道に迷うこともなく非常にスムーズにまわることができました
釘抜き地蔵の近くでランチして
今回の旅のエンディングを飾るべく
最終目的地まで歩きました
大将軍八神社でスタートした旅ですから
締めはやはり晴明神社ですよね
御所の鬼門をめざします
さすが晴明神社
映画効果は今なお続いています
境内には若者も多いです
あそこにも
ここにも晴明桔梗印
万物は
木・火・土・金・水の五行からなるとする
陰陽五行説
晴明が考案した
魔除けの呪符です
こちらは晴明井です
立春になると神職さんが井戸の上部を回転させて
その年の恵方へ口を向けるそうです
今年は南南東でしたね
この地は、千利休の屋敷跡でもあり
こちらの霊水でお茶を点てたそうです
着物を着た若いお嬢さんもお参りしていました
旧一條戻橋の脇に立つ
式神にご挨拶
本殿横にいらっしゃる
安倍晴明さんにもご挨拶
晴明さん
今日も天空を仰いでいらっしゃいます
「そろそろ降ってきそうだね」
厄除桃を撫で
樹齢推定300年というご神木に
両手をあててお願いをしました
さて・・・
神社の隣にある田島織物をのぞいてみました
去年、訴訟問題にまで発展した例のお土産屋さんです
店内にはごっちゃりと
晴明さん関連グッズも含め
さまざまなグッズが並んでいます
特に欲しいものもなく
境内にある晴明神社公認の桔梗庵へ
「うちのはご祈祷済ですよ」
「奇跡がどんどん起きていますよ」
お店のおばちゃんは盛んに宣伝をされていましたが
結局、欲しいものはなく神社を後にしました
と、京都駅行きのバスが・・・
走って飛び乗りました
四条あたりで晴明さんの予報通り雨が降り始めました
おばちゃんの「奇跡がどんどん起きてますよ」のひと言につられて
グッズを買っていたら
バスにも乗れず雨にも降られ・・・
晴明さんは地上の争い事にはなんの興味もないんですよ
今回はとても濃~い旅になりました
大将軍神、菅原道真公
六観音、閻魔法王
釘抜き地蔵、安倍晴明
改めて1000年の都・京都を感じずにはいられませんでした
桓武天皇は平城京から長岡京に遷都
しかしその長岡京を10年で廃して
平安京に遷都しました
洪水説、怨霊説・・・いろいろありますが・・・
先日、NHKでオンエアされた「アテルイ伝」を見て思いましたが
桓武天皇って、結構、細かい指示を出しているんですよね
NHKの仲麻呂のクーデターの番組で
奈文研の渡辺室長率いる渡辺小劇場の「鈴印争奪戦」でも
桓武天皇、出演されていましたが
よくよく考えたら桓武天皇って官僚生活長いです
実務経験もあり
豊富な知識、経験をもとに長岡京に遷都したけれども
思うように進まず廃都
今度こそは自分なりの都を作ろうと
並々ならぬ思いで平安京に遷都したんでしょう
その平安京は
災害はもとより、あの応仁の乱で焼野原になったりと
滅亡の危機に瀕してもきちんと復興しているんですよね
今回、京都を歩いて
その桓武天皇が平安京にめぐらせたパワーみたいなもの
京をがっちり守ろうという強い思い
少しだけですが垣間見えたような気がしました
とっても楽しい旅でした
数珠は1個しかゲットできませんでしたが・・・
京都駅から2時半すぎのJRに乗って
米原、大垣で乗り継いで帰宅したのは6時前
無理せず、しかし中身は濃く・・・
少しずつ青春18きっぷの旅もこなれてきましたよ
総歩数13365歩。消費カロリー313.3kcal。脂肪燃焼率44.7g。
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
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北野天満宮の東門から出ると
そこは上七軒です
室町時代に北野天満宮を再建する際
残材で7軒の茶店を建てたのが
その名前の由来だそうです
私たちはこの上七軒ではなく
その北にある五辻通を歩いて
千本釈迦堂へ
正式名称は大報恩寺
最近、数珠巡礼に参加したお寺です
ご本尊はもちろん釈迦如来
快慶の弟子、行快作の釈迦如来は秘仏のため
お厨子は固く閉じられていました
こちらの本堂は国宝です
京都最古の建物だそうです
つまりあの応仁の乱で焼けなかったんです
千本釈迦堂のあるエリアの東は西陣です
応仁の乱の西軍の大将
山名宗全が陣を置いたとされたことが地名の由来だそうです
千本釈迦堂は
その西軍の本営があったために焼けなかったようですね
お堂の柱には当時の刀傷が残っています
本堂の手前にある大きなしだれ桜
おかめ桜です
その近くに
おかめさんが
座っていらっしゃいました
こちらのお寺にはおかめ伝説というのがありまして・・・
本堂造営の際に
棟梁の高次が柱の1本だけを間違えて短く切ってしまったらしく
あぁぁぁぁどうしよう・・・と悩んでいたそうです
そこで妻のおかめは
その短い柱の寸法に合わせて全部切ってしまえばいいんじゃないですか?と
助言します
その妻のひと言で無事、本堂は落成しました
しかし、おかめさん
女のひと言でこのお堂が完成したとなると
これは夫に恥をかかせることになるんじゃないか・・・と杞憂して
上棟式の前日に命を絶ちます
おかめさん、妻の鑑ですね
本堂の奥には数多くのおかめ人形が展示されていました
愛嬌のあるものもありますが、かなりエグいものもあって
今日の空のようにどよ~んとした気分になってしまいました
このおかめ気分を払拭するために
霊宝殿に急ぎました
心が洗われるような六観音がいらっしゃいました
聖観音、千手観音、十一面観音
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音
あの慶派の定慶の作だと言われています
見ごたえありましたね
快慶の晩年の作と言われている
十大弟子も並んでいらっしゃいました
そして・・・
私があづま袋に印仏した誕生釈迦仏もいらっしゃいました
ガラスケース入りです
私はナイスバディなセリーヌ・ディオンを想定して彫りましたが
実物を見たら
お腹まわりは幼児体型でした・・・
ここから北上して
千本ゑんま堂へ
正式名称は引接寺(いんじょうじ)
ご本尊は閻魔法王です
京都で閻魔さまといえば
やはりあのお方のお出ましとなります
昼は宮中で、夜は冥府で閻魔さまをサポートしていた
あの小野篁さんです
こちらの閻魔さまを自ら刻みこのお寺を建立しました
この地蔵菩薩池では
毎年旧盆に
水塔婆を流し鐘をついて「おしょらいさん」を迎え
8月16日にお精霊送りをするという風習があるようです
なぜか紫式部の供養塔がありました
とにかく今回は
伝説が盛りだくさんです
さらにディープな京都をめざします
こちらは西陣にある石像寺
京都1200年の旅でも紹介されていた
あの釘抜き地蔵です
石像寺は空海によって創建されたお寺
空海さんが唐から持ち帰った石に彫ったとされる地蔵菩薩
諸々の苦しみを抜き取ってくださるということで
「苦抜き地蔵」と呼ばれるように
その後、「くぬき」が「くぎぬき」になり釘抜き地蔵となったようです
身体や心の痛みに苦しむ人たちが
「治りますように」と願をかけ
無事その苦痛から解放された暁には
八寸釘と釘抜きを貼りつけた絵馬を
奉納する習わしとなりました
京都1200年の旅では
尾上松也さんは年齢の数だけ
お堂の周囲をまわっていましたが
私たち、年齢の数だけまわっていたら日が暮れそうなので
1周だけまわり
てかてかになったお地蔵さんを撫でて
先を急ぎました
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
そこは上七軒です
室町時代に北野天満宮を再建する際
残材で7軒の茶店を建てたのが
その名前の由来だそうです
私たちはこの上七軒ではなく
その北にある五辻通を歩いて
千本釈迦堂へ
正式名称は大報恩寺
最近、数珠巡礼に参加したお寺です
ご本尊はもちろん釈迦如来
快慶の弟子、行快作の釈迦如来は秘仏のため
お厨子は固く閉じられていました
こちらの本堂は国宝です
京都最古の建物だそうです
つまりあの応仁の乱で焼けなかったんです
千本釈迦堂のあるエリアの東は西陣です
応仁の乱の西軍の大将
山名宗全が陣を置いたとされたことが地名の由来だそうです
千本釈迦堂は
その西軍の本営があったために焼けなかったようですね
お堂の柱には当時の刀傷が残っています
本堂の手前にある大きなしだれ桜
おかめ桜です
その近くに
おかめさんが
座っていらっしゃいました
こちらのお寺にはおかめ伝説というのがありまして・・・
本堂造営の際に
棟梁の高次が柱の1本だけを間違えて短く切ってしまったらしく
あぁぁぁぁどうしよう・・・と悩んでいたそうです
そこで妻のおかめは
その短い柱の寸法に合わせて全部切ってしまえばいいんじゃないですか?と
助言します
その妻のひと言で無事、本堂は落成しました
しかし、おかめさん
女のひと言でこのお堂が完成したとなると
これは夫に恥をかかせることになるんじゃないか・・・と杞憂して
上棟式の前日に命を絶ちます
おかめさん、妻の鑑ですね
本堂の奥には数多くのおかめ人形が展示されていました
愛嬌のあるものもありますが、かなりエグいものもあって
今日の空のようにどよ~んとした気分になってしまいました
このおかめ気分を払拭するために
霊宝殿に急ぎました
心が洗われるような六観音がいらっしゃいました
聖観音、千手観音、十一面観音
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音
あの慶派の定慶の作だと言われています
見ごたえありましたね
快慶の晩年の作と言われている
十大弟子も並んでいらっしゃいました
そして・・・
私があづま袋に印仏した誕生釈迦仏もいらっしゃいました
ガラスケース入りです
私はナイスバディなセリーヌ・ディオンを想定して彫りましたが
実物を見たら
お腹まわりは幼児体型でした・・・
ここから北上して
千本ゑんま堂へ
正式名称は引接寺(いんじょうじ)
ご本尊は閻魔法王です
京都で閻魔さまといえば
やはりあのお方のお出ましとなります
昼は宮中で、夜は冥府で閻魔さまをサポートしていた
あの小野篁さんです
こちらの閻魔さまを自ら刻みこのお寺を建立しました
この地蔵菩薩池では
毎年旧盆に
水塔婆を流し鐘をついて「おしょらいさん」を迎え
8月16日にお精霊送りをするという風習があるようです
なぜか紫式部の供養塔がありました
とにかく今回は
伝説が盛りだくさんです
さらにディープな京都をめざします
こちらは西陣にある石像寺
京都1200年の旅でも紹介されていた
あの釘抜き地蔵です
石像寺は空海によって創建されたお寺
空海さんが唐から持ち帰った石に彫ったとされる地蔵菩薩
諸々の苦しみを抜き取ってくださるということで
「苦抜き地蔵」と呼ばれるように
その後、「くぬき」が「くぎぬき」になり釘抜き地蔵となったようです
身体や心の痛みに苦しむ人たちが
「治りますように」と願をかけ
無事その苦痛から解放された暁には
八寸釘と釘抜きを貼りつけた絵馬を
奉納する習わしとなりました
京都1200年の旅では
尾上松也さんは年齢の数だけ
お堂の周囲をまわっていましたが
私たち、年齢の数だけまわっていたら日が暮れそうなので
1周だけまわり
てかてかになったお地蔵さんを撫でて
先を急ぎました
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
今日3月1日から例の青春が始まりました
さっそく18きっぷで数珠巡礼です
天気、とっても悪かったので
画像はすべてどよ~んとしています
が、ラッキーなことに
私たち、雨には降られませんでした
仏さんのおかげ?
大将軍のおかげ?
菅原道真公のおかげ?
これで今日のコースがわかりましたでしょうか?
JRを乗り継いで円町で下車
いつ雨が降ってきてもおかしくない天気でしたので
短い距離でしたが市バスに乗りました
北野白梅町で下車、歩いて5分
大将軍八神社です
平安京遷都の際
桓武天皇の勅願によって
奈良の春日山麓より
大将軍神を平安京大内裏の北西角の地に勧請し
国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりだそうです
北西の角というのは陰陽道の天門
鬼門は北東
南東が地門
裏鬼門の南西は人門だそうです
大将軍とは陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神です
本殿の前にあるのは
八卦でしょうか?
なんだか
すごい所に迷い込んでしまいましたよ
お参りしたあと
この大将軍がいらっしゃる方徳殿へ
一般公開の日は
決められているようですが
事前に予約すればOKだそうです
私たち、予約はしていませんでしたが
名古屋から来ました~と強くアピールしたら
OKが出ました
ありがとうございました
方徳殿の中には
80体もの大将軍神像群が立体星曼陀羅様に安置されていました
武装男神像、束帯神像、童子像が
ずらっと並んでいて
80体もあると
さすがにちょっと怖いです
健脚の同級生がいなかったら
たぶんとっとと逃げ出していたかもしれません
この星神像の隣には天球儀がありました
天空を地球儀のように見立てて
星とか星座とか赤道などを描いたものです
あの「天地明察」の渋川春海が製作したもので
現在日本に残る天球儀では最古のもののひとつだそうです
渋川春海が頼りにしたのが土御門泰福でした
彼は安倍晴明の子孫です
陰陽道安倍家に関わる古天文歴道関係の資料なども展示されています
不思議な空間でした
星空をずっと仰いでいると
身体がふわっと浮いて方位を見失ってしまうことがありますが
まさにそんな状態になってしまい
私たち、地上に降り立つために
京都スイーツをいただきました(?)
粟餅所澤屋さんへ
店先で
つきたての粟餅に
あんこやきなこを
まぶしています
ふわふわでした
幸せ~
お腹いっぱいになったので
向かいにある北野天満宮へ
境内の梅は
7分咲き?
ひと息ついて次なるお寺をめざします
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社
さっそく18きっぷで数珠巡礼です
天気、とっても悪かったので
画像はすべてどよ~んとしています
が、ラッキーなことに
私たち、雨には降られませんでした
仏さんのおかげ?
大将軍のおかげ?
菅原道真公のおかげ?
これで今日のコースがわかりましたでしょうか?
JRを乗り継いで円町で下車
いつ雨が降ってきてもおかしくない天気でしたので
短い距離でしたが市バスに乗りました
北野白梅町で下車、歩いて5分
大将軍八神社です
平安京遷都の際
桓武天皇の勅願によって
奈良の春日山麓より
大将軍神を平安京大内裏の北西角の地に勧請し
国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりだそうです
北西の角というのは陰陽道の天門
鬼門は北東
南東が地門
裏鬼門の南西は人門だそうです
大将軍とは陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神です
本殿の前にあるのは
八卦でしょうか?
なんだか
すごい所に迷い込んでしまいましたよ
お参りしたあと
この大将軍がいらっしゃる方徳殿へ
一般公開の日は
決められているようですが
事前に予約すればOKだそうです
私たち、予約はしていませんでしたが
名古屋から来ました~と強くアピールしたら
OKが出ました
ありがとうございました
方徳殿の中には
80体もの大将軍神像群が立体星曼陀羅様に安置されていました
武装男神像、束帯神像、童子像が
ずらっと並んでいて
80体もあると
さすがにちょっと怖いです
健脚の同級生がいなかったら
たぶんとっとと逃げ出していたかもしれません
この星神像の隣には天球儀がありました
天空を地球儀のように見立てて
星とか星座とか赤道などを描いたものです
あの「天地明察」の渋川春海が製作したもので
現在日本に残る天球儀では最古のもののひとつだそうです
渋川春海が頼りにしたのが土御門泰福でした
彼は安倍晴明の子孫です
陰陽道安倍家に関わる古天文歴道関係の資料なども展示されています
不思議な空間でした
星空をずっと仰いでいると
身体がふわっと浮いて方位を見失ってしまうことがありますが
まさにそんな状態になってしまい
私たち、地上に降り立つために
京都スイーツをいただきました(?)
粟餅所澤屋さんへ
店先で
つきたての粟餅に
あんこやきなこを
まぶしています
ふわふわでした
幸せ~
お腹いっぱいになったので
向かいにある北野天満宮へ
境内の梅は
7分咲き?
ひと息ついて次なるお寺をめざします
・・・・・・・・・・続く
大将軍八神社・北野天満宮
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