わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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円頓寺(えんどうじ)商店街が見えてきます。
かなりしょぼくした感じ・・・。
大須は栄に近いということもあり
ヤングなお店がかなり増え活気が出てきましたが
円頓寺は、ちょっときびしい・・・。
あちこちに貼ってありました。
http://www.nagom.jp/about.html
「WAYA」=わや、とは
「台無し」とか
「踏んだり蹴ったり」という名古屋弁です。
使い方はですね・・・
会長さん、カジノに凝ってまって、自分の会社わやにしてまったがや
門が閉まっていました。
こちらの太子堂は
1804年に
奈良の元興寺五重塔の古材を使って
建立されたそうです。
この日は閉まっていて拝見することはできませんでしたが
茶室があるようです。次回公開は12月7日。
この金毘羅さんは
元は
名古屋城三の丸にあった
尾張藩重臣大道寺邸にまつられていたもの
1859年にこちらに移転。
1654年創建。
本堂は、名古屋城築城の際の余材を拝領して
建てられたそうですが
結局
この総ケヤキの山門だけが戦災を免れました。
http://www1.m1.mediacat.ne.jp/endonji/#
鬼子母神さんにお参りさせていただきました。
尾張徳川藩初代義直公の側室・貞松院さまにより
寄進された鬼子母神像がまつられています。
5月18日には本堂に遷座していただき
ご開帳法要が営まれるようです。
ご朱印をいただきました。
そろそろお腹が空いてきました。ランチタイムです。
「はね海老」というお店がありました。
名古屋で海老と言えば・・・
そりゃあもう「海老ふりゃあ」でしょう。
開いた海老です。
うま~い。
いい仕事してます。
なんだか海老っぽい?
陶器もあるわ
漆器もあるわ
籠もあるわ・・・という
ひと昔前の雑貨屋を
ちょっと冷やかして・・・
円頓寺本町商店街へ。
似たり寄ったりの
活気のない商店街です。
TOS
さすがにお腹いっぱいで
雑穀飯のはちみつ野菜カレーは
食べられないので
ホットハニーレモン、いただきました。
クローバーとレンゲのはちみつ入り。
ほっこりしますね。
ニュージーランド産のマヌカハニーも
各種ありました。
円頓寺、探せば面白いところもあるじゃないですか。
いつもは名古屋駅方面に来ると
JR高島屋近辺でランチして、お茶して・・・というコースですが
ちょっと足を伸ばせば
江戸チックな円頓寺ランチタイムが楽しめます。
古地図のおかげで
いろいろな名古屋と出会えます。
10729歩。消費カロリー255.2kcal。脂肪燃焼量36.4g。
もう少し時間があったら
堀川沿いをてくてくすることもできたんですけど・・・
それはまた次回ということで。
古地図で歩く円頓寺界隈~四間道
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先日、名古屋駅方面に行く用事がありまして
その前に、ちょっと早めのランチを・・・と。
さて、どこでランチしようか?
そうだ、久しぶりに、円頓寺(えんどうじ)に行こう!
ということで
急遽、てくてく尾張名古屋です。
名古屋駅から地下街を歩いて、国際センタービルへ。
国際センタービルから地上に出て
まずは、四間道(しけみち)をめざします。
![sikemitihyousiki.jpg](https://blog.cnobi.jp/v1/blog/user/e6aa702847a29ebb20822f8e02ec8157/1321948333?w=112&h=150)
四間道というくらいですから
道幅は四間です、約7.2m。
ときは、慶長15年(1610年)、名古屋城の築城が始まります。
それまでは、尾張の中心は清洲(きよす)だったのですが
築城後、町ぐるみで移動しました、例の「清洲越」。
この四間道のすぐ東は堀川です。
堀川は熱田の湊と名古屋城をつなぐ物流の要でした。
その堀川にかかる五条橋
元は、木の橋でしたが
昭和13年
コンクリート橋にかけ換えられました。
この五条橋の擬宝珠を見ると・・・
慶長7年壬刀六月吉日と彫られています。
清州の五条川から堀川へ
清洲越してきたわけですね。
もちろん
元の橋にあったオリジナルの擬宝珠は
今は名古屋城に保管されています。
こんな落書きをする不届き者がいますから・・・。
しかし、元禄13年(1700年)の大火で
四間道の多くの町屋やお寺が焼けてしまいました。
そこで尾張藩4代藩主、徳川吉通は
道幅を四間に拡張しました。
それで、四間道と呼ばれるようになりました。
堀川沿いの商家の裏側にあたる四間道には
土蔵が多く建てられました。
今でも、フレンチレストランやら
http://www.shikemichi.jp/
ガラス館に生まれ変わって
がんばっているお蔵もあります。
http://shikemichi-glass-gallery.com/default.aspx
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く円頓寺界隈~円頓寺
その前に、ちょっと早めのランチを・・・と。
さて、どこでランチしようか?
そうだ、久しぶりに、円頓寺(えんどうじ)に行こう!
ということで
急遽、てくてく尾張名古屋です。
名古屋駅から地下街を歩いて、国際センタービルへ。
国際センタービルから地上に出て
まずは、四間道(しけみち)をめざします。
道幅は四間です、約7.2m。
ときは、慶長15年(1610年)、名古屋城の築城が始まります。
それまでは、尾張の中心は清洲(きよす)だったのですが
築城後、町ぐるみで移動しました、例の「清洲越」。
この四間道のすぐ東は堀川です。
堀川は熱田の湊と名古屋城をつなぐ物流の要でした。
元は、木の橋でしたが
昭和13年
コンクリート橋にかけ換えられました。
慶長7年壬刀六月吉日と彫られています。
清州の五条川から堀川へ
清洲越してきたわけですね。
元の橋にあったオリジナルの擬宝珠は
今は名古屋城に保管されています。
こんな落書きをする不届き者がいますから・・・。
しかし、元禄13年(1700年)の大火で
四間道の多くの町屋やお寺が焼けてしまいました。
そこで尾張藩4代藩主、徳川吉通は
道幅を四間に拡張しました。
それで、四間道と呼ばれるようになりました。
土蔵が多く建てられました。
http://www.shikemichi.jp/
がんばっているお蔵もあります。
http://shikemichi-glass-gallery.com/default.aspx
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く円頓寺界隈~円頓寺
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