わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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冬の青春18きっぷで
数珠巡礼に行ってまいりました
健脚の同級生と一緒です
久しぶりの京都
家を出るときは、まだ真っ暗でした
西の空高くには十六夜の月・・・
6:38に名古屋を出発して
京都に着いたのが9:13
京都駅から市バスに乗って、五条坂で下車
ここから、歩いて、六波羅蜜寺をめざします。
このあたり、轆轤(ろくろ)町というらしいです。
高校時代に習った「徒然草」・・・
あだし野の露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
住み果つる習ひならば いかにもののあはれもながらん
世は定めなきこそ いみじけれ~
あだし野(化野)や鳥辺野(とりべの)は当時の風葬の地でした。
鳥辺野とは清水寺の南西あたり
ということで、この六波羅あたりにも死体は散乱していたようです。
かつてこの地から髑髏(どくろ)が出土したことから
江戸時代までは髑髏町と呼ばれていました。
お堂の中は人、人、人・・・
団体さんたちが木魚のリズムに合わせて
♪はんにゃ~は~ら~み~た~♪
私たちも
しばし、その輪の中に入れていただきました。
まさに
One of 衆生って感じで
気持ちよく
みんなと声を揃えてお経を唱えました。
お参りしたあと、私たちふたりは宝物館へ。
薬師如来さん、地蔵菩薩さん、四天王
こわいお顔の閻魔大王
弘法さん・・・
そして、やはり空也上人でしょう
醍醐天皇の第二皇子である空也上人は
当時京都で流行していた悪疫退治のため
自ら十一面観音を彫り、それを車に安置して市中を曳き回り
青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て
中に小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け
踊りながら念仏を唱え、病魔を鎮められたといわれています
その空也上人は
異界の入口にこの六波羅蜜寺を開創しました。
来年の大河ドラマの主人公、平清盛さんや
運慶、湛慶親子もいらっしゃいました。
ご朱印と
数珠をいただいて
次なるお寺をめざします
三叉路に
六道の辻の碑が・・・
六道とは
ご存じ
あの六道輪廻の六道です。
生前の行いの善悪によって死後に行先が決まる六つの世界
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
この六道の辻と
呼ばれるところに
弘法さんが辻堂を建立しました
それが
ここ西福寺(さいふくじ)。
ご本尊の六波羅地蔵は弘法さんの自作だそうです。
嵯峨天皇の后である檀林皇后が
子供の病気平癒を祈願したことから
子育て観音として信仰を集めています。
西福寺から東へ
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)をめざします。
門前には
やはり六道の辻。
京都関連の本を読んでいると
ちょこちょこお見かけするお方がいらっしゃいまして
私、かねてより、非常に気になっておりました。
その方の名は・・・
小野篁(おのたかむら)さんです。
平安時代前期の官人であり
学者であり、歌人です。
そして、あの遣隋使、小野妹子の子孫だそうです。
そして、そして
小野小町の父親?いや祖父?なんていう説もあるらしく・・・
この小野篁さん、日中は朝廷の役人
そしてアフター5は・・・
なんと冥土で、閻魔大王の裁判のサポートしていたという
アンビリーバブルなお方・・・
私、一度、小野篁さんが毎晩通ったという
異界の入口だった井戸を見たい!と思っていました。
遠くからですが
右手側にその井戸があります
閻魔大王と小野篁さんの木像ものぞいてきました。
暗くて、よく見えませんでしたが
小野篁さん、でっかい人です。
閻魔大王は小野篁さんの自作だそうです。
これ、鐘楼です。
鐘は見えません
手前の穴から出ている綱を引っ張って
静かに戻すと、いい音がします。
毎年盂蘭盆会の8月7~10日は
冥土にも届くといわれる「迎鐘」を撞いて
ご先祖さまの精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわうそうです。
ご朱印と
数珠をいただいて
幽霊子育飴を買いました
西福寺の前に
幽霊子育本舗という
飴屋さんがあります
これが幽霊子育飴です
おそろしい名前ですが
素朴な麦芽糖の飴です
慶長四年(1599年)のこと
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上がったところに
一軒の飴屋がありました
ある日の夕暮
主人が店じまいをしていたら、若い女が飴を買いに来ました
以来、その女は毎晩、飴を買いにくるようになり
お店の主人、どうも様子が怪しいと
ある晩、その女の後をつけたら、なんと鳥辺野の墓場に消えました
住職さんと最近埋葬された女の墓を掘り起こすと・・・
墓の中に生きた赤ん坊がおりました
そしてその脇にはあの飴が・・・
幽霊となった母親が赤ん坊を育てていたのでした
ということで
この飴屋さん、当時は六道珍皇寺の近くにありましたが
西福寺の前に移転したようです。
しかし、今日は、定休日なのかカーテンが閉まっていましたので
委託販売をしている六道珍皇寺の近くの電器屋さんで購入。
移転する前の飴屋さんがあったところでしょうか?
桓武天皇は
疫病やら天変地異やら国が乱れているのは
弟の早良親王やら近親者の怨霊のなせる祟りと思い
その怨霊と対峙し
陰陽師の呪術を配した平安京を創り上げました。
私たちの目には見えませんが
京都の街には魑魅魍魎たちがうろうろしているのかも。
この六波羅周辺もまた・・・
昼間はなんだかおもしろい異界テーマパークですが
夜になると
清水寺の南あたりから
す~っと怨霊が降りてきて
この六道の辻あたりをうろうろする
実はかな~り怖ろしいエリアかもしれません。
私たち、なんと2体の閻魔大王にお逢いし
小野篁さんにもお逢いしまいましたが
地獄に連れ込まれることなく
無事、この後もお寺めぐりを続けることができました
・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
青春18きっぷ的数珠巡礼~建仁寺・両足院
青春18きっぷ的数珠巡礼~六角堂
数珠巡礼に行ってまいりました
健脚の同級生と一緒です
久しぶりの京都
家を出るときは、まだ真っ暗でした
西の空高くには十六夜の月・・・
6:38に名古屋を出発して
京都に着いたのが9:13
京都駅から市バスに乗って、五条坂で下車
ここから、歩いて、六波羅蜜寺をめざします。
このあたり、轆轤(ろくろ)町というらしいです。
高校時代に習った「徒然草」・・・
あだし野の露消ゆる時なく 鳥辺山の煙立ち去らでのみ
住み果つる習ひならば いかにもののあはれもながらん
世は定めなきこそ いみじけれ~
あだし野(化野)や鳥辺野(とりべの)は当時の風葬の地でした。
鳥辺野とは清水寺の南西あたり
ということで、この六波羅あたりにも死体は散乱していたようです。
かつてこの地から髑髏(どくろ)が出土したことから
江戸時代までは髑髏町と呼ばれていました。
お堂の中は人、人、人・・・
団体さんたちが木魚のリズムに合わせて
♪はんにゃ~は~ら~み~た~♪
私たちも
しばし、その輪の中に入れていただきました。
まさに
One of 衆生って感じで
気持ちよく
みんなと声を揃えてお経を唱えました。
お参りしたあと、私たちふたりは宝物館へ。
薬師如来さん、地蔵菩薩さん、四天王
こわいお顔の閻魔大王
弘法さん・・・
そして、やはり空也上人でしょう
醍醐天皇の第二皇子である空也上人は
当時京都で流行していた悪疫退治のため
自ら十一面観音を彫り、それを車に安置して市中を曳き回り
青竹を八葉の蓮片の如く割り茶を立て
中に小梅干しと結昆布を入れ仏前に献じた茶を病者に授け
踊りながら念仏を唱え、病魔を鎮められたといわれています
その空也上人は
異界の入口にこの六波羅蜜寺を開創しました。
来年の大河ドラマの主人公、平清盛さんや
運慶、湛慶親子もいらっしゃいました。
ご朱印と
数珠をいただいて
次なるお寺をめざします
三叉路に
六道の辻の碑が・・・
六道とは
ご存じ
あの六道輪廻の六道です。
生前の行いの善悪によって死後に行先が決まる六つの世界
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道
この六道の辻と
呼ばれるところに
弘法さんが辻堂を建立しました
それが
ここ西福寺(さいふくじ)。
ご本尊の六波羅地蔵は弘法さんの自作だそうです。
嵯峨天皇の后である檀林皇后が
子供の病気平癒を祈願したことから
子育て観音として信仰を集めています。
西福寺から東へ
六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)をめざします。
門前には
やはり六道の辻。
京都関連の本を読んでいると
ちょこちょこお見かけするお方がいらっしゃいまして
私、かねてより、非常に気になっておりました。
その方の名は・・・
小野篁(おのたかむら)さんです。
平安時代前期の官人であり
学者であり、歌人です。
そして、あの遣隋使、小野妹子の子孫だそうです。
そして、そして
小野小町の父親?いや祖父?なんていう説もあるらしく・・・
この小野篁さん、日中は朝廷の役人
そしてアフター5は・・・
なんと冥土で、閻魔大王の裁判のサポートしていたという
アンビリーバブルなお方・・・
私、一度、小野篁さんが毎晩通ったという
異界の入口だった井戸を見たい!と思っていました。
遠くからですが
右手側にその井戸があります
閻魔大王と小野篁さんの木像ものぞいてきました。
暗くて、よく見えませんでしたが
小野篁さん、でっかい人です。
閻魔大王は小野篁さんの自作だそうです。
これ、鐘楼です。
鐘は見えません
手前の穴から出ている綱を引っ張って
静かに戻すと、いい音がします。
毎年盂蘭盆会の8月7~10日は
冥土にも届くといわれる「迎鐘」を撞いて
ご先祖さまの精霊を迎える「六道まいり」の行事でにぎわうそうです。
ご朱印と
数珠をいただいて
幽霊子育飴を買いました
西福寺の前に
幽霊子育本舗という
飴屋さんがあります
これが幽霊子育飴です
おそろしい名前ですが
素朴な麦芽糖の飴です
慶長四年(1599年)のこと
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上がったところに
一軒の飴屋がありました
ある日の夕暮
主人が店じまいをしていたら、若い女が飴を買いに来ました
以来、その女は毎晩、飴を買いにくるようになり
お店の主人、どうも様子が怪しいと
ある晩、その女の後をつけたら、なんと鳥辺野の墓場に消えました
住職さんと最近埋葬された女の墓を掘り起こすと・・・
墓の中に生きた赤ん坊がおりました
そしてその脇にはあの飴が・・・
幽霊となった母親が赤ん坊を育てていたのでした
ということで
この飴屋さん、当時は六道珍皇寺の近くにありましたが
西福寺の前に移転したようです。
しかし、今日は、定休日なのかカーテンが閉まっていましたので
委託販売をしている六道珍皇寺の近くの電器屋さんで購入。
移転する前の飴屋さんがあったところでしょうか?
桓武天皇は
疫病やら天変地異やら国が乱れているのは
弟の早良親王やら近親者の怨霊のなせる祟りと思い
その怨霊と対峙し
陰陽師の呪術を配した平安京を創り上げました。
私たちの目には見えませんが
京都の街には魑魅魍魎たちがうろうろしているのかも。
この六波羅周辺もまた・・・
昼間はなんだかおもしろい異界テーマパークですが
夜になると
清水寺の南あたりから
す~っと怨霊が降りてきて
この六道の辻あたりをうろうろする
実はかな~り怖ろしいエリアかもしれません。
私たち、なんと2体の閻魔大王にお逢いし
小野篁さんにもお逢いしまいましたが
地獄に連れ込まれることなく
無事、この後もお寺めぐりを続けることができました
・・・・・・・・・・続く
青春18きっぷ的数珠巡礼~六波羅蜜寺・西福寺・六道珍皇寺
青春18きっぷ的数珠巡礼~建仁寺・両足院
青春18きっぷ的数珠巡礼~六角堂
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