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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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時は幕末の京都

三条木屋町にある道具屋「とびきり屋」の若夫婦の物語です

道具屋とは今でいう骨董屋

 

山本兼一著「利休の茶杓~とびきり屋見立て帖~」

 

三条大橋は東海道の終点

この三条大橋を渡って京に来る人、京を出る人

ことに幕末は物騒な人たちも多く出入りしていた時代でした



そんな三条木屋町にあるとびきり屋

茶道具あり~の、刀あり~の・・・品揃えも多彩です

 

「利休にたずねよ」で直木賞を受賞した山本兼一さん

さすが道具に詳しいです

 

幕末という時代背景にさまざまな道具をからめた

技ありのストーリー展開にぐいぐい引き込まれてしまいました

とても面白いです

 

例えば、自在置物・・・

 

この自在置物、本を読んだだけでは今いちよくわからない

一見は百聞にしかず・・・

たまたまEテレ日曜美術館の「明治の工芸 知られざる超絶技巧」で

自由自在に動く鉄のヘビや昆虫の自在置物を見たので

まるで映画を見るようで実にリアル

なるほど、山本さん、こう来たか・・・と思わず膝をぽんとうちました

 

とある道具屋から譲ってもらった自在置物

とびきり屋は、これらを思いのほかお値打ち価格で譲り受けることになりました

ある条件付きで・・・

 

その中の龍の置物だけは売らずに

店の目立つところに飾ってほしいという

さらに時々、ある侍がその龍の首の向きを指示しにやってくるので

その通りの向きに直してほしいという

 

とびきり屋に来たばかりの龍は首を伏せて眠っている龍でした

 

そこへ新撰組の芹沢鴨がやってきて

眠った龍を勝手に起こして頭を持ち上げ前足も高く上げてしまいました

 

帰ったあと、再び当初の眠り龍に戻すとびきり屋の主人

 

後日、再び、侍がやってきて

「龍を起こして東に向けてください」

 

数時間後、変装した桂小五郎が龍を見ながら店の前を通り過ぎました

 

それから毎日、首の向きを指示する侍がやってきて

龍は、あっち向いたりこっち向いたり・・・

 

しばらくしてあの芹沢鴨がやってきて

長州藩の集まりを察知しているにもかかわらず

どうも情報が漏れているらしく踏みこんでも無駄足ばかりだという

ひょっとして龍の頭の向きが合図ではないのか・・・と詰め寄ります

 

自在置物の特徴を上手く利用した幕末らしいお話になっています

 

ところでこの「利休の茶杓」はとびきり屋シリーズの第4弾

 

今年の2月に山本兼一さんが亡くなられてしまい

残念なことに第4弾にして最終巻となってしまいました

 

とびきり屋の若夫婦、この先、商売はうまいこといったんやろかと

気になって仕方のない今日この頃です



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ただ今、徳川美術館では

「天下統一~信長から家康へ~」が開催されています

 

メインビジュアルは、徳川家康三方ヶ原戦役画像、別名しかみ像です

 

三方ヶ原戦は家康さんが初めて大負けした戦

戒めとしてこんなしかめっ面の絵を描かせたそうです

 

信長、秀吉、家康が経験した戦に関わる史料や作品

そして彼らに関わる武将たち遺品が集められています

 

書状もいくつか公開されています

 

信長がおねに宛てた手紙

秀吉のことを「禿げねずみ」呼ばわりしているあの手紙も原本が見られます

 

長篠合戦図屏風も公開されています

 

信長、秀吉、家康が同じ画面に描かれる唯一の絵だそうです

最近、屏風が大好きで

じ~っと見ていると結構いろいろなことがわかるんですよ

 

屏風を発注した人の意図

そして描いた絵師の意図を読み取るのがとっても楽しいんです

 

残念ながら荒木村重の息子、岩佐又兵衛筆の「豊国祭礼図屏風」は

出展されていません

 

私がこの春、豊国神社の宝物館で見た「豊国祭礼図屏風」は

秀吉の七回忌に行われた臨時祭礼の様子を

豊臣秀頼の命を受け狩野内膳が描いたもの

 

淀殿の指示通りに

高台院さまをあえて皺くちゃの老尼に描いています

 

徳川美術館所蔵の「豊国祭礼図屏風」は

豊臣恩顧の大名、蜂須賀家政が岩佐又兵衛に発注したもの

 

これ、ちょっと見たかったんですよね

 

なぜ徳川美術館所蔵なのに出展されないのか?

 

9月26日から熱海にあるMOA美術館で

又兵衛「豊国祭礼図屏風」と「浄瑠璃物語絵巻」が同時公開されるようです

 

うわぁ、下膨れオンパレードですね

 

ところで、昨日は、徳川美術館にくまモンが来たようです

加藤清正の兜をかぶって・・・

 

天下統一展には

加藤清正の長烏帽子形兜と清正が捕獲した虎頭蓋骨も出展されています



久しぶりに徳川美術館に行ってみようかしらん

9月28日まで





今日の「軍師官兵衛」に

荒木村重(道薫)の息子、後の岩佐又兵衛が出てきました

 

やはりあの赤ちゃんがそうだったんですね

 

「絵が好きなら、その道を極めよ」の父の言葉通り

岩佐又兵衛は洛中洛外図屏風(舟木本)や豊国祭礼図屏風(徳川美術館)など

数多くの絵を残しました

 

屏風にはたくさんの人たちが描かれていますが

みんなお顔が下膨れ・・・

これが又兵衛さんの特徴なんですね

 

洛中洛外図屏風(舟木本)には

荒木村重一家が描かれているという説もありまして・・・

 

「ウォーリーを探せ」ならぬ

「荒木村重一家を探せ」をしてみるのも面白いです

 

あ、もちろん村重もあのお美しいだし夫人もしっかり下膨れです

 

さてさて・・・

 

先日、奥山景布子先生の「太閤の能楽師」を読みました

 

太閤の能楽師

朝鮮出兵のため肥前の名護屋城にいる秀吉に能を指南する

若手の能楽師、暮松新九郎のお話です

 

能はなにも能楽師だけが舞っていただけでなく

武将たちも舞っていました

 

秀吉さんは晩年の6年ほどですが、かなりのめり込んだようで

前代未聞の禁中能を催したあげく

果ては自分を題材にした「明智討」「柴田」「北条」など

太閤能(豊公能)まで作らせています

 

千利休が生きているときは

茶室は会談や密約の場として使われていましたが

利休の死後

武将たちは茶の湯から遠ざかってしまいました

 

その代わりに

能がその場として使われていたようです

 

能の稽古と称して武将たちが集い

さまざまな密約が交わされていました

 

「へうげもの」が茶道具ならば

「太閤の能楽師」は能という切り口で戦国時代を描いています

 

茶の湯やら能やら、秀吉さんは凝り性ですね



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