忍者ブログ
わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
[2123]  [2122]  [2121]  [2120]  [2119]  [2118]  [2117]  [2116]  [2115]  [2114]  [2113
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

消しゴムの切れ端で木簡を彫ってみました



本来、地中にあるものなので

木簡とは掘るものなんですけど・・・

 

向かって左端の木簡には

「長屋親王宮鮑大贄十編」と書いてあります

 

長屋王邸宅跡から出土した木簡です

長屋王は鮑(あわび)を食べていらっしゃったんですね

鮑を数える単位が「編」となっていますが

これは熨斗あわびの状態ということです

 

この木簡から長屋王の豪勢な食生活が明らかになりました

 

明らかになったのは食生活だけではありません

冒頭の「長屋親王」から

当時、長屋王が極めて天皇に近い存在だったということもわかりました

 

長屋王は高市皇子の息子で

天武天皇の孫です

だから「親王」ではなく「王」のはずなんです

 

親王なんて呼ばせているから讒言されたのでは?

 

先日の馬場基先生の講座にもこの木簡が出てきました

 

「親王」「皇子」「王子」「皇」

これはいずれも「みこ」と読んでいて

この木簡を書いた人は

意図して「親王」と書いたわけではなく

 

いわゆるしゃべり言葉の感覚で

「親王」と書いたのではないかとのお話でした

 

天皇という呼称も養老令によれば

祭祀においては「天子」

勅書においては「天皇」

外国に対しては「皇帝」

上表においては「陛下」と定められていて

 

特に祭祀の場合、天子と表記しても読みは「すめらみこと」と読んでいたようです

 

いずれにしても

長屋王の食卓には鮑はじめ豪華なお食事が並んでいて

 

鮑の文字の下には「大贄」と書いてあることですし

当時、長屋王は天皇に準ずるような力を持っていたことは確かだったんでしょう

 

 

PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
きょうのお月さん
Today's Moon phase
コメントありがとうございます
[10/26 madamyam]
[10/26 蟹満寺薬師徳光和夫]
[04/29 madamyam]
[04/28 おにぎりヴィヴァルディ]
[04/28 madamyam]
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
madamyam
性別:
女性
趣味:
旅行 お寺めぐり
バーコード
カウンター
Copyright © きょうのちょい福 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]