わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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消防車のはしごも
三重塔の相輪も
電柱も
飛行機雲も
みんな上を上をめざしている
そんな空を見上げていたら・・・
「地震雲じゃない?あぶないから清洲城には行かない」と
意味不明な、不吉な予言を残し
母は、ひとり、大須観音に行ってしまいました
なので、父とふたりで歩いて清洲城をめざします
五条川に沿って延々40分くらい歩くと
お城が見えてきました
まずは清洲城の対岸にある
清洲公園・清洲古城公園へ
織田信長が
桶狭間の方向を見据え立っていました
「今川義元よ、首を洗って待っておれ」というところでしょうか
さらに川沿いを歩いていくと
赤い大手橋と清洲城が見えてきました
橋の手前にある
清洲ふるさとのやかたで休憩をして
いざ、登城!
あららら、信長塀のレプリカ?
本物は熱田神宮にあります
http://829xiaoxingfu.blog.shinobi.jp/
Entry/676/
室町時代応永12年(1405年)、尾張国の斯波義重が
下津城の別郭として建てられたのが清洲城の始まりと言われています
織田信長が弘治元年(1555年)に入城
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長は
ここ清洲城から天下統一をスタートさせました
そして本能寺の変で倒れた信長の跡目を決める清洲会議の後
城主となったのは信長の次男、信雄(のぶかつ)でした
その後、城主は豊臣秀次、福島正則と移り
関ヶ原以降、松平忠吉、徳川義直と変わり
慶長15年(1610年)、徳川家康は清洲城廃城と名古屋城築城を命じ
町の建物のみならず町の機能全てを移転するという
「清洲越」が行われました
その約400年後の平成元年(1989年)に
こうして清洲城が甦りました
東海道本線の車窓から
間近に見えるんですよ、清洲城
やっと登城することができました
信長気分で天守閣から城下を眺めましたら
名古屋駅のツインタワーはもちろん
遠く雪をいただいた伊吹山も見えました
と、お城のすぐ下に発掘現場が・・・
ここから南に行ったところにも発掘現場、ありました
平安末期から江戸時代あたりのものが発掘されたようです
そうえいば、最近、発掘のニュース、多いですね
延々と歩いて名鉄の丸の内駅へ
3時帰宅
母はどうも1本前の名鉄で帰宅したようです
名古屋の街をちょっと飛び越えて
あま市の甚目寺観音
清須市の清洲城を歩いてきました
朝日遺跡に代表される古代から中世、尾張国の首府であった清須
信長の天下取りの出発点であり
また信長亡きあと
天下平定をめざす武将たちの重要な拠点ともなった清須
京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でした
歴史が織り成すエリアを
歴史好きの父と一緒に歩くことができ、ちょい福な1日になりました
16340歩。消費カロリー402kcal。脂肪燃焼量57.4g
父の健脚には脱帽です
古地図で歩く甚目寺観音
三重塔の相輪も
電柱も
飛行機雲も
みんな上を上をめざしている
そんな空を見上げていたら・・・
「地震雲じゃない?あぶないから清洲城には行かない」と
意味不明な、不吉な予言を残し
母は、ひとり、大須観音に行ってしまいました
なので、父とふたりで歩いて清洲城をめざします
五条川に沿って延々40分くらい歩くと
お城が見えてきました
まずは清洲城の対岸にある
清洲公園・清洲古城公園へ
織田信長が
桶狭間の方向を見据え立っていました
「今川義元よ、首を洗って待っておれ」というところでしょうか
さらに川沿いを歩いていくと
赤い大手橋と清洲城が見えてきました
橋の手前にある
清洲ふるさとのやかたで休憩をして
いざ、登城!
あららら、信長塀のレプリカ?
本物は熱田神宮にあります
http://829xiaoxingfu.blog.shinobi.jp/
Entry/676/
室町時代応永12年(1405年)、尾張国の斯波義重が
下津城の別郭として建てられたのが清洲城の始まりと言われています
織田信長が弘治元年(1555年)に入城
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長は
ここ清洲城から天下統一をスタートさせました
そして本能寺の変で倒れた信長の跡目を決める清洲会議の後
城主となったのは信長の次男、信雄(のぶかつ)でした
その後、城主は豊臣秀次、福島正則と移り
関ヶ原以降、松平忠吉、徳川義直と変わり
慶長15年(1610年)、徳川家康は清洲城廃城と名古屋城築城を命じ
町の建物のみならず町の機能全てを移転するという
「清洲越」が行われました
その約400年後の平成元年(1989年)に
こうして清洲城が甦りました
東海道本線の車窓から
間近に見えるんですよ、清洲城
やっと登城することができました
信長気分で天守閣から城下を眺めましたら
名古屋駅のツインタワーはもちろん
遠く雪をいただいた伊吹山も見えました
と、お城のすぐ下に発掘現場が・・・
ここから南に行ったところにも発掘現場、ありました
平安末期から江戸時代あたりのものが発掘されたようです
そうえいば、最近、発掘のニュース、多いですね
延々と歩いて名鉄の丸の内駅へ
3時帰宅
母はどうも1本前の名鉄で帰宅したようです
名古屋の街をちょっと飛び越えて
あま市の甚目寺観音
清須市の清洲城を歩いてきました
朝日遺跡に代表される古代から中世、尾張国の首府であった清須
信長の天下取りの出発点であり
また信長亡きあと
天下平定をめざす武将たちの重要な拠点ともなった清須
京や鎌倉に連絡する往還と伊勢街道が合流する交通の要衝でした
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歴史好きの父と一緒に歩くことができ、ちょい福な1日になりました
16340歩。消費カロリー402kcal。脂肪燃焼量57.4g
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古地図で歩く甚目寺観音
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