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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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星野藤馬「殿、明日、歴史秘話ヒストリアなる番組で殿が紹介されるようです」
 
徳川宗春「ほほぉぉ、おれのマニフェスト『温知政要』が今再び世に出るのか?」
 
星野藤馬「なんでもキツイ時こそドハデにいこう!~徳川家康・宗春 
      金ピカ名古屋のルーツ~という内容だそうです」

徳川宗春「あの金鯱だな」
 
星野藤馬「鯱を最初に天守閣に上げたのはあの信長公でございましたね
      金箔を押したものだったとか。その後、秀吉公が大阪城、伏見城に
      殿の高祖父の家康公も江戸城に上げましたが結局残ったのは
      わが名古屋城だけでした」
 
徳川宗春「他の城の鯱は瓦製だが、名古屋城はそんなケチなもんじゃない
      正真正銘の黄金だぞ。慶長大判1940枚を伸ばして貼ってあるん
      だからな。それが雨ざらしぞ!」
 
星野藤馬「天下様でもかなわぬものは、金の鯱ほこ あまざらし・・・と
      東海道を旅する者たちが感激しておったものです
      いやぁ、尾張は太っ腹でございますな」
 
徳川宗春「それを、わが兄上、先代の継友公が藩財政の赤字補てんのために
      あの金の鱗をはずして改鋳してしまってのぉ。
      おれの代の後も、2度ほど改鋳が行われたようで
      金鯱はどんどん輝きがなくなってしもうた・・・悲しいことよのぉ。
      お、そうだ、藤馬、ところで、おれの大河ドラマはどうなった?」
 
星野藤馬「残念ながら、再来年は秀吉公の軍師、黒田官兵衛殿に決まりました
      しかし、殿、まだまだ諦めるのは早いです
      まずはこのヒストリアを足掛りに一歩ずつ一歩ずつ再び高みを
      めざしましょう」


 
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お久しぶりに
宗春さん登場ですね。「ちょい福」のこのシリーズ?好きなんです。宗春ポストも復活したようで、よかった よかった。明日の番組も面白そう。時々ヒストリア、見逃してしまうんですよ。教えていただき、ありがとうございました。

姫路城の番組を見ていたら、「藩主 榊原政岑」も倹約を嫌ったり、花魁を身受けしたりして、飛ばされてしまったなんていう話を聞きました。やっぱり吉宗の時代だったそうですよ。

今日の金の鯱ほこの話も興味深かったです。
どんと 2012/10/16(Tue)20:11:35 編集
いざ戦というときのための
どんとさん

軍資金のようなものだったようです、金鯱・・・

城の上に上げておけば、盗まれることもないだろうと思っていたようですが、なんと江戸時代、大凧に乗って、金の鱗を盗もうとした輩がいたという伝説もあるようです。ライト兄弟もびっくりですね

私も、ヒストリア、結構、見忘れてしまうことが多いんですよね。明日は忘れないようにとブログに書いておきました

どうもありがとうございました
madamyam 2012/10/16(Tue)22:17:02 編集
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