わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
久しぶりの学食ツアーを終え
そのまま堀川めざしました
下広井町の交差点を
てくてく歩いていくと
右に左に倉庫が
見えてきます
もうすぐ堀川です
新洲崎橋から見る
堀川
尾張名古屋は城でもつ、と言いますが
その名古屋の水運を支えたのが堀川でした
400年前に名古屋城築城のために開削された人工の川です
堀川の右岸(東側)に
竪三蔵(たてみつくら)通が
南北に走っていますが
この三蔵とは
米蔵が3つあったことから名付けられました
豊臣秀吉が小田原城攻めのとき
兵糧の蓄えがなくなり苦心したことがあったので
福島正則が清洲城内に大きな蔵を3つ造って兵糧を蓄えました
清洲越で
この3つの蔵も名古屋城下に移動
その名残でしょうか
この周辺には倉庫が多いです
堀川の左岸(西側)に水主町という交差点があります
水主町と書いて、かこまち、と読みます
この水主町は全国の城下町やら港町によくある地名ですが
水夫たちが住んでいたエリアです
かつてこの一帯に千賀氏が率いる尾張水軍の施設がありました
この千賀水軍は
戦国時代に南知多町師崎を拠点にして
知多の海を駆け廻っていたそうです
南知多町豊浜に「花乃丸」という温泉旅館がありまして
中に入ったことはないのですが
この前を通るたびに気になっていたのが
「水軍伝説の風薫る宿」というキャッチフレーズ
HPを見ると
千賀水軍ゆかりの何かがあるわけではなく
単なるイメージ戦略のようですね
その千賀水軍が御舟奉行として尾張藩に仕え
堀川両岸に屋敷を構えていたようです
残念なことに
名古屋ではすでにこの水主町という町名は消えてしまいました
名駅南という味気ない町名に変わってしまい
今では交差点とか郵便局とかの名称として残っているだけです
新洲崎橋の近くに
洲崎(すさき)神社があります
洲崎神社のはじまりは
太古よりこの地に祀られていた石神
石神は布都御魂(ふつみたま)と道祖神のことで
道祖神は猿田彦命(さるたひこのみこと)と
天鈿女命(あめのうずめのみこと)だそうです
この石神の導きにより
平安時代に素戔鳴尊(すさのをのみこと)が奉祀され
「広井天王」または「牛頭(ごず)天王」と
呼ばれていたそうです
宝永6年(1709年)尾張藩主徳川綱誠(宗春の父)より神輿が奉納され
享保16年(1731年)徳川宗春の命により
「もっと派手にやろまい」と
堀川に桟敷をかけ
どえらい盛大な川祭が行われていたそうです
我らが宗春さま
二間の煙管をくゆらせ
どんちゃんどんちゃん大騒ぎしたんでしょうね
洲崎神社の拝殿の右に
白龍龍寿大神社がありました
龍寿大神と白龍大神が祀られています
なんとダブル龍
縁起がいいです
一気に足取りも軽くなって
100m道路を渡り堀川沿いを歩いていくと
聖運寺があります
ここは
2代藩主徳川光友(宗春の祖父)の出生地という伝説が残っています
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く堀川~松重閘門
そのまま堀川めざしました
下広井町の交差点を
てくてく歩いていくと
右に左に倉庫が
見えてきます
もうすぐ堀川です
新洲崎橋から見る
堀川
尾張名古屋は城でもつ、と言いますが
その名古屋の水運を支えたのが堀川でした
400年前に名古屋城築城のために開削された人工の川です
堀川の右岸(東側)に
竪三蔵(たてみつくら)通が
南北に走っていますが
この三蔵とは
米蔵が3つあったことから名付けられました
豊臣秀吉が小田原城攻めのとき
兵糧の蓄えがなくなり苦心したことがあったので
福島正則が清洲城内に大きな蔵を3つ造って兵糧を蓄えました
清洲越で
この3つの蔵も名古屋城下に移動
その名残でしょうか
この周辺には倉庫が多いです
堀川の左岸(西側)に水主町という交差点があります
水主町と書いて、かこまち、と読みます
この水主町は全国の城下町やら港町によくある地名ですが
水夫たちが住んでいたエリアです
かつてこの一帯に千賀氏が率いる尾張水軍の施設がありました
この千賀水軍は
戦国時代に南知多町師崎を拠点にして
知多の海を駆け廻っていたそうです
南知多町豊浜に「花乃丸」という温泉旅館がありまして
中に入ったことはないのですが
この前を通るたびに気になっていたのが
「水軍伝説の風薫る宿」というキャッチフレーズ
HPを見ると
千賀水軍ゆかりの何かがあるわけではなく
単なるイメージ戦略のようですね
その千賀水軍が御舟奉行として尾張藩に仕え
堀川両岸に屋敷を構えていたようです
残念なことに
名古屋ではすでにこの水主町という町名は消えてしまいました
名駅南という味気ない町名に変わってしまい
今では交差点とか郵便局とかの名称として残っているだけです
新洲崎橋の近くに
洲崎(すさき)神社があります
洲崎神社のはじまりは
太古よりこの地に祀られていた石神
石神は布都御魂(ふつみたま)と道祖神のことで
道祖神は猿田彦命(さるたひこのみこと)と
天鈿女命(あめのうずめのみこと)だそうです
この石神の導きにより
平安時代に素戔鳴尊(すさのをのみこと)が奉祀され
「広井天王」または「牛頭(ごず)天王」と
呼ばれていたそうです
宝永6年(1709年)尾張藩主徳川綱誠(宗春の父)より神輿が奉納され
享保16年(1731年)徳川宗春の命により
「もっと派手にやろまい」と
堀川に桟敷をかけ
どえらい盛大な川祭が行われていたそうです
我らが宗春さま
二間の煙管をくゆらせ
どんちゃんどんちゃん大騒ぎしたんでしょうね
洲崎神社の拝殿の右に
白龍龍寿大神社がありました
龍寿大神と白龍大神が祀られています
なんとダブル龍
縁起がいいです
一気に足取りも軽くなって
100m道路を渡り堀川沿いを歩いていくと
聖運寺があります
ここは
2代藩主徳川光友(宗春の祖父)の出生地という伝説が残っています
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く堀川~松重閘門
PR
この記事にコメントする
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
きょうのお月さん
カテゴリー
最新記事
(05/01)
(04/30)
(04/29)
(04/28)
(04/27)
(04/26)
(04/25)
(04/24)
(04/23)
(04/22)
コメントありがとうございます
[10/26 madamyam]
[10/26 蟹満寺薬師徳光和夫]
[04/29 madamyam]
[04/28 おにぎりヴィヴァルディ]
[04/28 madamyam]
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
madamyam
性別:
女性
趣味:
旅行 お寺めぐり
カウンター