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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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1年に100冊読む、この目標は年々ハードルが下がり、今や1年に70冊という体たらくの私の読書量。しかも今年はその70冊もちょっとあぶなくて、12月に入ってから必死の読書が続きました・・・。
 
そしてなんとか70冊目を本日無事読み終えることができました。
soetu.jpg
「青春の柳宗悦」丸山茂樹
 
柳宗悦といえば、民芸です。
その民芸の原点は朝鮮美術。とりわけ陶磁器。

彼は李朝の普段使いの家庭道具に心惹かれ
当時誰も見向きもしなかった粗末な李朝初期の工芸品を
骨董屋で買い集めていきました。
 
日韓併合時代の朝鮮では、高麗青磁やら中国の影響を強く受けた技巧的なものが人気で、柳宗悦が集めていたものは当時、下手(げて)と呼ばれていたもの。
 
そしてそれらの収集品をそっくりそのまま寄贈、それが朝鮮民族美術館です。今は韓国政府が国立民族博物館として継承しています。景福宮の中にあります。
同じく景福宮内にあった国立中央博物館は2005年に二村(イチョン)に移転。
私、今年の夏、行ってまいりました。
http://829xiaoxingfu.blog.shinobi.jp/Entry/115/
 
彼の紹介後、それまでがらくた同然だった李朝の陶磁器はいきなり高値に跳ね上がり、私などのような庶民には手の届かないものになってしまいました。
しかし、彼のおかげで李朝の素朴な陶磁器に出会うことができました。
 
柳宗悦はあの光化門(クヮンファムン)の保存にも力を注ぎました。
光化門は1394年、景福宮の正門として建設。その後、火事で焼失。
そして秀吉の朝鮮出兵でまたもや焼失。
日韓併合後、朝鮮総督府建設のため取り壊しを計画していたところ、柳宗悦の反対運動にあい、移転という形をとりました。
その後、朝鮮戦争で再び焼失。
焼失のたびに再建された光化門、日本が移転した場所から、もとあった場所に戻そうということになり、来年には当初の場所で復元されます。
 
来年は韓国のお寺さん、そして元の場所に復元される光化門にも会いにいこうと思っています。

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