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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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今日の「軍師官兵衛」に

荒木村重(道薫)の息子、後の岩佐又兵衛が出てきました

 

やはりあの赤ちゃんがそうだったんですね

 

「絵が好きなら、その道を極めよ」の父の言葉通り

岩佐又兵衛は洛中洛外図屏風(舟木本)や豊国祭礼図屏風(徳川美術館)など

数多くの絵を残しました

 

屏風にはたくさんの人たちが描かれていますが

みんなお顔が下膨れ・・・

これが又兵衛さんの特徴なんですね

 

洛中洛外図屏風(舟木本)には

荒木村重一家が描かれているという説もありまして・・・

 

「ウォーリーを探せ」ならぬ

「荒木村重一家を探せ」をしてみるのも面白いです

 

あ、もちろん村重もあのお美しいだし夫人もしっかり下膨れです

 

さてさて・・・

 

先日、奥山景布子先生の「太閤の能楽師」を読みました

 

太閤の能楽師

朝鮮出兵のため肥前の名護屋城にいる秀吉に能を指南する

若手の能楽師、暮松新九郎のお話です

 

能はなにも能楽師だけが舞っていただけでなく

武将たちも舞っていました

 

秀吉さんは晩年の6年ほどですが、かなりのめり込んだようで

前代未聞の禁中能を催したあげく

果ては自分を題材にした「明智討」「柴田」「北条」など

太閤能(豊公能)まで作らせています

 

千利休が生きているときは

茶室は会談や密約の場として使われていましたが

利休の死後

武将たちは茶の湯から遠ざかってしまいました

 

その代わりに

能がその場として使われていたようです

 

能の稽古と称して武将たちが集い

さまざまな密約が交わされていました

 

「へうげもの」が茶道具ならば

「太閤の能楽師」は能という切り口で戦国時代を描いています

 

茶の湯やら能やら、秀吉さんは凝り性ですね



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