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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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昨晩のBS朝日「京都1200年の旅」は
「銀閣寺で花咲いた日本の美」でした

金閣寺を造った足利義満の孫です
 
義政が将軍だった時代は
それはもう地獄絵さながらの世の中で
天下の人口の3分の2は餓死したとまでいわれ
餓死者で鴨川の流れがせき止められてしまった・・・と
以前、本で読んだ記憶があります
 
いろいろ策は出しましたがそれがことごとく裏目に出てしまい
さらには
後継者問題が飛び火してあの応仁の乱が勃発し
京都は焼け野原になってしまいました
 
京都のお寺の歴史を読むと
たいがいこの応仁の乱で焼けていますよね
 
いかにこの応仁の乱がすさまじかったかがよくわかります
 
京は焦土と化すは
無能な将軍と後ろ指はさされるは
おまけに嫁があの日野富子とくれば・・・
 
とっとと逃げたくもなりますわ
 
その絶望のどん底で
銀閣寺の造営に没頭・・・
そして美術品の蒐集に全力を傾けました
 
去年見たNHKアニメ「へうげもの」の中で
毎回出てきた茶碗やら、茶入などの銘品の数々・・・
 
これらの持ち主をさかのぼっていくと
大半がこの足利義政が原点なんです
 
日本の数寄
日本人の美意識をつくった人
それが足利義政だったんですね
 
しかし
これだけのものを造営するには
かなりの資金がいります
 
当時の状況で
義政はどうやって資金を調達したのか?
 
嫁の日野富子の財力には頼りたくなかったので
頼んだところで融通してくれるような嫁ではないでしょうし・・・
結局、諸大名に頼らざるを得なかったようです
 
「へうげもの」を見て
当時の大名たちが義政のお墨付きの銘品を奪い合っていたのは
つまり義政から文化を学ぶというか・・・憧れていたんでしょうね

ステータスを高めるために
この足利義政ブランドが必要だったんだなと思いました
 
ちょっと足利義政関連の本が読みたくなりました

asikaganihonobi.jpg
 





足利義政―日本美の発見


asikagayosimasato.jpg






足利義政と銀閣寺 (中公文庫) 


あのドナルド・キーンさんが書いたものですね


 
 
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