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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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先日、名古屋駅方面に行く用事がありまして
その前に、ちょっと早めのランチを・・・と。
さて、どこでランチしようか?
 
そうだ、久しぶりに、円頓寺(えんどうじ)に行こう!
 
ということで
急遽、てくてく尾張名古屋です。
 
名古屋駅から地下街を歩いて、国際センタービルへ。
 
国際センタービルから地上に出て
まずは、四間道(しけみち)をめざします。
 
sikemitihyousiki.jpgsikemiti1.jpg四間道というくらいですから
道幅は四間です、約7.2m。
 







ときは、慶長15年(1610年)、名古屋城の築城が始まります。
 
それまでは、尾張の中心は清洲(きよす)だったのですが
築城後、町ぐるみで移動しました、例の「清洲越」。
 
この四間道のすぐ東は堀川です。
堀川は熱田の湊と名古屋城をつなぐ物流の要でした。
 
horikawagojo.jpgその堀川にかかる五条橋
元は、木の橋でしたが
昭和13年
コンクリート橋にかけ換えられました。
 



horikawagojohasigibosi.jpgこの五条橋の擬宝珠を見ると・・・
慶長7年壬刀六月吉日と彫られています。

清州の五条川から堀川へ
清洲越してきたわけですね。
 




horikawagojohasigibosirakugaki.jpgもちろん
元の橋にあったオリジナルの擬宝珠は
今は名古屋城に保管されています。

こんな落書きをする不届き者がいますから・・・。
 




しかし、元禄13年(1700年)の大火で
四間道の多くの町屋やお寺が焼けてしまいました。
そこで尾張藩4代藩主、徳川吉通は
道幅を四間に拡張しました。
それで、四間道と呼ばれるようになりました。
 
sikemiti2.jpg堀川沿いの商家の裏側にあたる四間道には
土蔵が多く建てられました。
 





sikemitifrench.jpg今でも、フレンチレストランやら
http://www.shikemichi.jp/





sikemitiglass.jpgガラス館に生まれ変わって
がんばっているお蔵もあります。
http://shikemichi-glass-gallery.com/default.aspx
 








・・・・・・・・・・続く

古地図で歩く円頓寺界隈~円頓寺

 






 
 
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