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平安神宮は遷都1100年(明治28年)を記念して
京都で開催された内国勧業博覧会のいわばメインパビリオンでした
平安京の大極殿を模造する計画でしたが
工事の途中から、桓武天皇をご祭神とする神社に変更
当初の大極殿は神社の拝殿に形式を変えるという
ちょっと変わった神社です
社殿の屋根には碧瓦
当時の大内裏の屋根にも緑釉瓦が葺かれていました
さまざまな文献やらを参考にして再現したものではありますが
復元の根拠は?と問われれば・・・ちょっと曖昧ですよね
平安宮跡に復元されたわけでもないし・・・
私は、この平安神宮を近代建築と分類しました
では、奈良平城宮の大極殿は?
非常にナイスなタイミングで
NARASIAQの7号を読みました
今回のテーマは「多棲都市アジア~ゆらぐ建築とランドスケープ」
元奈良文化財研究所の清水重敦先生が
平城宮第一次大極殿の復元について書いていらっしゃいました
この第一次大極殿の復元設計に従事された清水先生
どこまで正確にかつての姿に迫れるのか・・・とても悩んだそうです
現在復元中の名古屋城本丸御殿
これは写真も図面も多く残されていますので
可能なかぎり当時の工法を採用して再現されているそうです
非常に正確な復元です
しかし、遥か昔に失われてしまったものは資料がない
平城宮の場合は基壇の痕跡しか残っていません
大極殿はこの後、恭仁宮に移築されるんですが
その恭仁宮跡も礎石も含めた遺構が残っているだけで
上物の構造は?形は?色は?・・・となると
さまざまな文献から類推するしかありません
ヨーロッパでは失われた部分を復元する場合
根拠が確実な箇所までに留めるべき・・・とされているそうです
それに比べると日本の復元はちょっと特異です
日本の遺跡復元は
遺跡自体は土で保護した上で、杭を打たずに復元建物を建設するんだそうです
つまり遺跡と復元建物は完全に分離されていて
復元建物は遺跡それ自体ではなく
そこから切り離された上で添えられている
これを「実物大模型」というらしい
現代の建築基準法に遵守して建てるとなれば
模型とはいえ建造物です
いくら高い蓋然性をもっていても当時のものとは違う
かといってレプリカでもない
ということで
平城宮第一次大極殿は平成22年に建てられた現代建築・・・ということだそうです
なるほど!
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