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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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ザ・リッツ・カールトンの北に

銅駝美術工芸高校があります、「どうだ」と読みます

日本最初の画学校らしく、明治13年発足

  

明治23年に京都市立美術高等学校と改名し

昭和55年に銅駝美術工芸高校となりました

 

昭和13年建築で設計は京都市営繕課

格子状の窓が印象的です

 

あの水玉の女王、草間彌生さんの母校です

他にも堂本印象氏

天龍寺法堂の雲龍図を描かれた加山又造氏も卒業生です

 

河原通沿いに建つ島津製作所河原町別館です

もともとは島津製作所の本社社屋でした

昭和2年竣工

武田五一氏(顧問)のもと、設計を担当したのは荒川義夫氏

   

現在は「フォーチュンガーデン京都」というレストランになっています

レトロな室内、素敵ですね

 

その南側に建つのが京都市役所です

時計塔の東部分が昭和2年、西部分が昭和6年竣工

意匠設計は武田五一氏

例の朝ドラのイメージがあってか、五一氏の顔はなぜかムロツヨシとだぶってしまい

私、最近、五一ちゃんと呼んでいます

   

ファサード部分にもありましたが、これは筆ですかね?

 

今日7日から「PARASOPHIA 京都国際現代芸術祭2015」が始まったようです

 

寺町通のアーケード街に「其中堂(きちゅうどう)」という仏教書専門書店があります

鳩居堂の近くです

 

昭和5年竣工

静かな佇まいではありますが

屋根の上にある卍崩しのような欄干が仏教書専門店らしさを醸し出しています

 

ここから近代建築ストリートである三条通へ

 

まずは1928ビル

 

五一ちゃんらしいアールデコ風です、昭和3年(1928年)竣工

窓といいバルコニーといいアールデコな星のモチーフがナイスです


平成10年に改修され、現在はカフェ、レストラン、ギャラリー・・・が入居していますが

もともとは毎日新聞社のビルだったそうです

この星は毎日新聞の社章らしい

 

三条通をさらに西へ

 

家邊徳(やべとく)時計店です、明治23年(1890年)竣工


間近で見ると、ちょっと感動ものの洋風の商業建築です

現在はブティックになっています

末永く残してほしいですね

 

SACRAビルです、旧不動貯金銀行三条支店

大正4年(1915年)

 

赤レンガビルが多い三条通にあって白タイル、ちょっと新鮮です

 

しかし、三条通、道が狭い

引きがないのででかい建物、撮りにくいです(言い訳)

 

日本生命京都三条ビル旧棟です

大正3年(1914年)竣工

あの辰野金吾氏と片岡安氏の設計

 

塔屋を含む東側の1スパンのみ保存

西側は取り壊されて新しく建て替えられました

 

入口に着物姿の女性が・・・あら、首がない?

1階は中古の着物屋さんでした

 

と、いきなり黒塗りの土蔵・・・足袋の分銅屋さんです

安政元年(1854年)創業だそうです


東海道をてくてく歩いて京入りしたあと

ここで新しい真っ白の足袋に履き替えたんでしょうか

洛中洛外図屏風らしい風景です

 

そうこうするとあのぶんぱくこと京都府京都文化博物館が見えてきました


すっごい存在感だわ

旧日本銀行京都支店、明治39年(1906年)

設計は辰野金吾氏と弟子の長野宇平治氏

  

白石の帯が印象的ですね、まさに辰野式・・・

 

今回の「京を描く~洛中洛外図の時代~」の会場です

この赤レンガは別館です

会場は本館なので

中を通り抜け中庭を通って移動します

 

その近くに建つ中京(なかぎょう)郵便局


明治35年竣工、旧京都郵便電信局です

設計は吉井茂則氏と三橋四郎氏


すぐ近くにド迫力の辰野式が建っているので若干存在感薄いですが

エレガンスな佇まいが素敵です



長すぎて一度に保存できないので

2回に分けます


・・・・・・・・・・続く

ぶんぱく~


京を描く~洛中洛外図の時代~@京都文化博物館

四条から二条へ、そして三条下ル

近代建築めぐり~三条通界隈

近代建築めぐり~烏丸通界隈 

 

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今回の青春18きっぷ的京都めぐりのスタートは四条大橋でした

 

JR京都駅から奈良線に乗り換え東福寺で下車

ここから京阪に乗って祇園四条駅下車

 

疎水沿いに歩いていくと辰巳大明神が見えてきます

この寒い中、結婚式の写真を撮影している団体に遭遇

この団体さん、台湾人でした

台湾人の結婚写真にかける情熱はハンパないものがあります

 

あちこちの京都の観光スポットで

衣装を何枚も着替えて撮影するんでしょうか

 

疎水を渡って北上すると

左手側のビルの屋上に木造の塔(?)のようなものを発見

先ほど調べましたら太鼓望楼だそうです

 

明治初期に建てられた有済小学校講堂の大棟中央に付設されたもので

のちに校舎の建て替えに伴い、屋上に移設

当時は、太鼓で時刻を知らせていたんですね

 

さらに北上して

東三条大将軍神社にお参りして

仁王門通を左折したところにある大蓮寺へ

 

こちらは雨の日も風の日も

毎日毎日、洛中洛外を走り回っていたという走り坊さんで有名です

足腰健常のご利益をいただきたくお参りしました

 

おかげさまで今回も元気いっぱいで歩くことができました

 

軽いフットワークで仁王門通の名の由来となった頂妙寺(ちょうみょうじ)へ

手前の総門の奥に仁王門があります

これが通りの名前になりました

 

向かって右側に持国天、左側に多聞天

いわゆる二天門です

 

金網が張られている上に奥の方にお厨子がありまして

その中に入っているためよく見えませんでした

 

なんでも頭部のみ伝運慶だそうです

 

こちらの頂妙寺は室町時代に日祝上人によって開創されたお寺で

足利将軍家の祈願所として栄えた時期もありましたが

その後、転々とし、現在の場所に移転したのが江戸時代

しかし、苦難はさらに続き、相次ぐ火災に見舞われました

 

そのたびに伝運慶の頭部を抱えて避難したわけです

 

洛中洛外図屏風に頂妙寺も描かれていました

御所の西側に元頂妙寺町という地名があるので

そちらにあったときのものだと思われます

 

鴨川を渡って寺町通にある矢田寺へ

 

今回見た洛中洛外図屏風の中に

秀吉さんが造らせた御土居らしき竹藪が描きこまれているものがありました

 

秀吉さんは御土居という土塁で京都を囲み

洛中と洛外を分けるという京都大改造事業を行います

 

それと同時に三条大橋をかけ


そして寺社を寺町通の東側に集めました

 

こちらの矢田寺は奈良の生駒にある矢田寺の別院として

五条坊門に建てられましたが

その後、転々として、寺町通の東側に移転

現在は寺町アーケード街のど真ん中にあります

 

ご本尊の矢田地蔵は高さ2mの立像

 

ところで鴨川の西側、木屋町通に沿って高瀬川が流れています

花見の名所でもあります

 

これ、江戸時代初期に開削されたもので

伏見と京都を結ぶ物流用の運河です

水は鴨川からひいています

 

豪商・角倉了以(すみのくらりょうい)・素庵(そあん)父子によって

3年の歳月をかけて造られました

 

川幅7m、延長約10㎞で、総工費は75000両

幕府などの公的機関からの援助はなく

しかも川のための地所も角倉家の自費で買収

 

その代り、運行使用料の半分を角倉家の収入としました

この高瀬川の起点である一之船入(いちのふないり)です

ここで荷物の積み下ろし、そして船の方向転換をします

 

一之船入沿いに京町屋が並んでいて

その中の「一之船入」という創作中華レストランでランチしました

 

かつてのお茶屋を改修したもので

お部屋は個室になっています

一之船入を眺めながらのランチ、なかなか風情があります

 

5種類の週替わりランチがありましたが

東方美人という台湾茶を飲みましたら

以前、台湾旅行中に狂ったように食べまくった牛肉麺の味が蘇ってきて

ランチメニューをやめて台湾牛肉麺をチョイス!

 

ビーフンのサラダから始まって

シュウマイとぷりぷりのエビシューマイの点心と続き

八角の香り漂う牛肉麺が出てきました

 

台湾で食べたものとは違って

見た目よりさっぱりとした医食同源な一之船入的牛肉麺でした

最後、甘茶のムースで締め

 

京町屋で中華・・・ちょっと新鮮なランチが楽しめました~♪

 

ところで二条城に昭和40年に完成した清流園というお庭があるんですが

建物の一部、そして庭石800個は

角倉了以のお屋敷から譲り受けたものだそうです

太っ腹ですね

 

一之船入の近くにある「がんこ高瀬川二条苑」は

もともとは、角倉了以のお屋敷があったところ

この邸宅内に鴨川からの取水口があります

 

そういえば先日見た洛中洛外図屏風の中に

この角倉了以のお屋敷が描きこまれているものがありました

 

・・・・・・・・・・続く

 

鴨川


京を描く~洛中洛外図の時代~@京都文化博物館

四条から二条へ、そして三条下ル

近代建築めぐり~三条通界隈

近代建築めぐり~烏丸通界隈



 

青春18きっぷで京都に行ってきました

 

今年最初の京都

まさに私の今年の京都の歩き方を絵に描いたような旅でした

 

京都文化博物館(通称ぶんぱく)の

「京(みやこ)を描く~洛中洛外図の時代~」

 

かなりまとまった数の洛中洛外図屏風が集められていて

そのあまりの多さに

私、迷子になりそうでした

 

もちろんすべてが原本ではなく、一部レプリカもありましたが

上杉本、舟木本、歴博甲本、歴博乙本・・・はじめ

戦国時代から江戸時代を通じて一双の屏風に描き続けられた洛中洛外図

私、時を忘れて

その洛中洛外図の中に入り込んでしまいました

 

洛中洛外図屏風が現れたのは

応仁・文明の乱が収束した頃で

 

力をつけてきた戦国武将たちが

京都の町を把握したいという気持ちから作られたものなんです

 

そこには有名な寺社や城などが描かれていて

絢爛豪華な京都マップみたいに見えますが

よ~く見ると

政治的な意図がしっかり描きこまれ

ある目的をもって絵師に屏風を発注したことがわかります

 

中には有力武将たちの邸宅が描きこまれているものもあって

これはもう単なる寺社マップではないな・・・と思わせるものもありました

 

それと見ていて面白かったのは

時代とともに町を歩いている人たちのファッションや持ち物が

なにげに変遷しているさまや

 

江戸時代になると商店に看板がつけられ始めるんです

さらに店の屋号やシンボルのようなものを染め上げた暖簾もかけられ

町にマーク・シンボル・ロゴタイプがあふれ意匠化されていくさまが

きちんと描かれていて

 

後世の人間から見ると

これは歴史的資料でもあるんですよね

 

細かい絵ではありますが

逆に細かいがゆえに

その屏風の喧騒の中に入り込んでしまって

しかもちょっと迷子になってしまいそうになって

なんと4時間もぶんぱくをふらふら歩き回ってしまいました

 

4時間・・・

ちょっと不思議な世界を体験することができました

 

今日の洛中洛外図屏風を見て

次回からの京都

ちょっと歩き方が変わるかもしれません

 

さらに京都の旅が楽しくなりそうです

 

図録を買ってきたので

とりあえず

明日からルーペ片手に図録の洛中洛外図を歩いてみようと思います

 

特別展「京(みやこ)を描く~洛中洛外図の時代~」

4月12日まで

京都府京都文化博物館

 

・・・・・・・・・・続く




三条大橋


京を描く~洛中洛外図の時代~@京都文化博物館

四条から二条へ、そして三条下ル

近代建築めぐり~三条通界隈

近代建築めぐり~烏丸通界隈



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