わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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笠寺一里塚からぶらぶらと笠寺公園へ。
バードウォッチング?
お邪魔をしては申し訳ないので
ぐるっと大回りして
見晴台へ。
公園内に見晴台遺跡(みはらしだいいせき)があります。
旧石器時代の石器やら縄文時代の土器片が出土したそうです。
その遺跡の調査・研究・展示のために建てられたのが
見晴台考古資料室です。
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/
19-15-2-8-0-0-0-0-0-0.html
そして資料室の隣にあるのが
竪穴式住居跡のレプリカが
展示されている住居跡観察舎。
江戸時代を歩こうとやってきた笠寺観音界隈で
なんと銅鐸形土製品を見ている自分・・・
芭蕉が見た当時の風景ですら想像できないのに
いきなり弥生時代と言われても・・・
平成の風景はこんな感じなので
なかなかイメージのピントが合いません。
ふと見ると
高射砲の台座。
太平洋戦争中に
設置されたものだそうです。
今度は昭和・・・
ピンボケのまま、旧東海道の呼続(よびつぎ)へ。
この呼続ですが
「そろそろ船が出るぞぉ」と七里の渡しから呼び継いだことから
この地名がついたそうです。
http://829xiaoxingfu.blog.shinobi.jp/Entry/676/
再び江戸時代へ。
呼続から七里の渡しまでは3kmちょっと
おっと、急がなくちゃと、旅人たちは足早に先を急いだんでしょうね。
実は、私、ここから名鉄大江駅に戻って帰宅するはずだったのですが
どうも呼ばれてしまったみたいなんです
「電車が来るぞぉ」ではなく、「こっちに来い、来い」と。
で、旧東海道からはずれ・・・
家に戻ってからわかったのですが
塩付街道を歩いていたようです。
すると赤い鳥居が
見えてきました。
清水稲荷神社です。
ここから不思議なエリアに迷い込んでしまいました。
http://www.chourakuji.org/chorakuji/index.html
稲荷山長楽寺の境内でした。
弘法大師さまがこちらに巡礼した折
夢のお告げによって、ここに七堂伽藍を創建され
真言宗戸部道場 寛蔵寺と名付け
清水叱枳尼眞天(しみずだきにしんてん)を鎮守神として安置。
その清水叱枳尼眞天は現在
先にお参りした清水稲荷神社にお祀りされているそうです。
真新しい立木観音堂には
十一面観音さんが
いらっしゃいました。
向かって左側が
熱湯観世音菩薩さん
右側が
馬頭観世音菩薩さん。
こちらも真新しい客殿です
喫茶室もあるらしい・・・。
隣の道場からはお経さんが・・・。
こちらが本堂。
長楽寺動物霊園・・・
盲導犬サーブのお墓もありました。
後からわかったのですが
隣に冨部神社(とべじんじゃ)があったらしい・・・。
徳川家康の四男、忠吉がこの山で病気の平癒祈願をし
その回復のお礼に建てたというお堂だそうです。
境内には
不思議な石像が
いくつも立っていました。
このお寺さんの西側にも遺跡がありました。曽池遺跡。
まさに狐につままれた感じで
わけわかんないまま
ご朱印をいただくことも忘れ
呼続公園を通って
アピタ名古屋南店でランチして名鉄大江駅へ。
大きな地図で見る
「来い、来い」じゃなくって
「コン、コン」だったようですね。
いろいろな時代をくぐり抜け
なんとか無事、平成の我が家に戻ったのが14:00ちょっと前。
東海道も、塩付街道もちょこっと歩いて
18775歩、432.8kcal、脂肪燃焼量61.8g。
ただ今、「トコトコ東海道2011」が開催されています。
http://www.aichi-kanko.jp/tokotoko/index.html
豊橋の二川宿から、熱田の宮宿まで
スタンプラリーあり、グルメありと
東海道を楽しく歩くイベントのようです。
トーニングシューズで歩けば、ダイエットにもなる?
古地図で歩く笠寺観音
バードウォッチング?
お邪魔をしては申し訳ないので
ぐるっと大回りして
見晴台へ。
公園内に見晴台遺跡(みはらしだいいせき)があります。
旧石器時代の石器やら縄文時代の土器片が出土したそうです。
その遺跡の調査・研究・展示のために建てられたのが
見晴台考古資料室です。
http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/
19-15-2-8-0-0-0-0-0-0.html
そして資料室の隣にあるのが
竪穴式住居跡のレプリカが
展示されている住居跡観察舎。
江戸時代を歩こうとやってきた笠寺観音界隈で
なんと銅鐸形土製品を見ている自分・・・
芭蕉が見た当時の風景ですら想像できないのに
いきなり弥生時代と言われても・・・
平成の風景はこんな感じなので
なかなかイメージのピントが合いません。
ふと見ると
高射砲の台座。
太平洋戦争中に
設置されたものだそうです。
今度は昭和・・・
ピンボケのまま、旧東海道の呼続(よびつぎ)へ。
この呼続ですが
「そろそろ船が出るぞぉ」と七里の渡しから呼び継いだことから
この地名がついたそうです。
http://829xiaoxingfu.blog.shinobi.jp/Entry/676/
再び江戸時代へ。
呼続から七里の渡しまでは3kmちょっと
おっと、急がなくちゃと、旅人たちは足早に先を急いだんでしょうね。
実は、私、ここから名鉄大江駅に戻って帰宅するはずだったのですが
どうも呼ばれてしまったみたいなんです
「電車が来るぞぉ」ではなく、「こっちに来い、来い」と。
で、旧東海道からはずれ・・・
家に戻ってからわかったのですが
塩付街道を歩いていたようです。
すると赤い鳥居が
見えてきました。
清水稲荷神社です。
ここから不思議なエリアに迷い込んでしまいました。
http://www.chourakuji.org/chorakuji/index.html
稲荷山長楽寺の境内でした。
弘法大師さまがこちらに巡礼した折
夢のお告げによって、ここに七堂伽藍を創建され
真言宗戸部道場 寛蔵寺と名付け
清水叱枳尼眞天(しみずだきにしんてん)を鎮守神として安置。
その清水叱枳尼眞天は現在
先にお参りした清水稲荷神社にお祀りされているそうです。
真新しい立木観音堂には
十一面観音さんが
いらっしゃいました。
向かって左側が
熱湯観世音菩薩さん
右側が
馬頭観世音菩薩さん。
こちらも真新しい客殿です
喫茶室もあるらしい・・・。
隣の道場からはお経さんが・・・。
こちらが本堂。
長楽寺動物霊園・・・
盲導犬サーブのお墓もありました。
後からわかったのですが
隣に冨部神社(とべじんじゃ)があったらしい・・・。
徳川家康の四男、忠吉がこの山で病気の平癒祈願をし
その回復のお礼に建てたというお堂だそうです。
境内には
不思議な石像が
いくつも立っていました。
このお寺さんの西側にも遺跡がありました。曽池遺跡。
まさに狐につままれた感じで
わけわかんないまま
ご朱印をいただくことも忘れ
呼続公園を通って
アピタ名古屋南店でランチして名鉄大江駅へ。
大きな地図で見る
「来い、来い」じゃなくって
「コン、コン」だったようですね。
いろいろな時代をくぐり抜け
なんとか無事、平成の我が家に戻ったのが14:00ちょっと前。
東海道も、塩付街道もちょこっと歩いて
18775歩、432.8kcal、脂肪燃焼量61.8g。
ただ今、「トコトコ東海道2011」が開催されています。
http://www.aichi-kanko.jp/tokotoko/index.html
豊橋の二川宿から、熱田の宮宿まで
スタンプラリーあり、グルメありと
東海道を楽しく歩くイベントのようです。
トーニングシューズで歩けば、ダイエットにもなる?
古地図で歩く笠寺観音
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近江・仏女ブロガーの企画も一段落し
再び、てくてく尾張名古屋、がんばります。
徳川家康は名古屋城の築城に際し
鬼門の方角に4つのお寺さんを鎮護として定めました。
尾張四観音です。
北北西:甚目寺観音
東北東:龍泉寺
南南東:笠寺観音
西南西:荒子観音
今日は、笠寺観音に行ってきました。
2011年の恵方は南南東
なので尾張名古屋では
笠寺観音が恵方の観音さま
節分のときはとても混雑したようです。
名古屋では
尾張四観音の恵方のお寺にお参りするとご利益が多いと言われています。
尾張四観音の恵方は
笠寺観音、龍泉寺、荒子観音、笠寺観音、甚目寺観音の順で
5年で一巡するようになっているんです。
ちなみに来年の恵方は甚目寺観音だそうです。
http://kasadera.jp/gyouji/gyouji_ehou.html
なので、私、甚目寺観音は来年の節分に行くことにしました。
名鉄本笠寺駅から歩けば近いのですが
てくてくしたいので、名鉄大江駅から歩きました。9:50スタート。
名四国道をくぐり、JR東海道本線を渡り、新幹線をくぐり
国道1号線を渡ると、名鉄本笠寺駅に突き当たります。
大きな地図で見る ← クリックするとコースが出ます
笠寺西門の交差点を渡ると
見えてきました
笠寺観音の西門が・・・。
今日は
フリーマーケットの日
にぎわっていました。
やはり
正面の仁王門から。
まずは本堂へ。
http://kasadera.jp/index.html
えっ
謎の円盤UFO?
あっ、笠ね・・・可愛いです
今日はご祈祷の方々で本堂の中も込み合っていました。
奈良時代に、あるお坊さまが流木で十一面観音さんを彫り
観音さんを建ててお祀りしていましたが
いつしかお堂は荒れはてて・・・
その後、平安時代に、とある娘さんが
雨ざらしになっている十一面観音さんに
自分がかぶっていた笠をかぶせてお参りしていたところ
京から来た青年貴族の藤原兼平に見染められ玉照姫となりましたとさ・・・
というわけで
縁結びの観音さまと呼ばれています。
ご本尊はその十一面観音さんです、が秘仏です。
8年に1度のご開帳、次回は平成27年の4月だそうです。
4年後ですね、行きます!
玉照姫さんと兼平公をお祀りした玉照堂です。
なるほど
あのUFOみたいな可愛い笠は
玉照姫さんの笠だったのですね。
笠寺観音
かなり楽しいですよ。
なんでもあり、です。
おもかる地蔵さん、弘法さん、えびすさん、不動明王さん・・・
そして、六地蔵堂、行者堂、薬師堂・・・
芭蕉の千鳥塚と
宮本武蔵供養碑までありました。
笠寺観音から東に行ったところにある
鳴海町の三王山には
松尾芭蕉直筆の句石が残っているそうです。
星崎の 闇をみよとや 啼くちどり
現在は、住宅地の鳴海ですが
芭蕉が見た風景は千鳥啼く干潟だったようですね。
芭蕉は、ここでこの句を詠んだ2年後に奥の細道に旅立ちました。
鳴海で、何かひらめいたのでしょうか。
笠寺観音は旧東海道に面しています。
現在は県道222号線です。
道、狭いのに、交通量多いです。
観音さんあたりで道が大きくカーブしています。
ちょっと旧東海道を東に歩いてみました。
笠寺観音から
ちょっと東に行ったところに
笠寺一里塚がありました
江戸時代
五街道が整備され
街道には
一里塚はじめ
二~三里ごとに宿場が置かれました。
笠寺一里塚は88番目、つまり江戸から87里ってことですね。
旧東海道に立って
しみじみと江戸方面を眺めていたら
クラクションを鳴らされ、あぁ、びっくり・・・。
古地図の時代から、一気に平成にタイムスリップしてしまいました。
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く見晴台遺跡~呼続
再び、てくてく尾張名古屋、がんばります。
徳川家康は名古屋城の築城に際し
鬼門の方角に4つのお寺さんを鎮護として定めました。
尾張四観音です。
北北西:甚目寺観音
東北東:龍泉寺
南南東:笠寺観音
西南西:荒子観音
今日は、笠寺観音に行ってきました。
2011年の恵方は南南東
なので尾張名古屋では
笠寺観音が恵方の観音さま
節分のときはとても混雑したようです。
名古屋では
尾張四観音の恵方のお寺にお参りするとご利益が多いと言われています。
尾張四観音の恵方は
笠寺観音、龍泉寺、荒子観音、笠寺観音、甚目寺観音の順で
5年で一巡するようになっているんです。
ちなみに来年の恵方は甚目寺観音だそうです。
http://kasadera.jp/gyouji/gyouji_ehou.html
なので、私、甚目寺観音は来年の節分に行くことにしました。
名鉄本笠寺駅から歩けば近いのですが
てくてくしたいので、名鉄大江駅から歩きました。9:50スタート。
名四国道をくぐり、JR東海道本線を渡り、新幹線をくぐり
国道1号線を渡ると、名鉄本笠寺駅に突き当たります。
大きな地図で見る ← クリックするとコースが出ます
笠寺西門の交差点を渡ると
見えてきました
笠寺観音の西門が・・・。
今日は
フリーマーケットの日
にぎわっていました。
やはり
正面の仁王門から。
まずは本堂へ。
http://kasadera.jp/index.html
えっ
謎の円盤UFO?
あっ、笠ね・・・可愛いです
今日はご祈祷の方々で本堂の中も込み合っていました。
奈良時代に、あるお坊さまが流木で十一面観音さんを彫り
観音さんを建ててお祀りしていましたが
いつしかお堂は荒れはてて・・・
その後、平安時代に、とある娘さんが
雨ざらしになっている十一面観音さんに
自分がかぶっていた笠をかぶせてお参りしていたところ
京から来た青年貴族の藤原兼平に見染められ玉照姫となりましたとさ・・・
というわけで
縁結びの観音さまと呼ばれています。
ご本尊はその十一面観音さんです、が秘仏です。
8年に1度のご開帳、次回は平成27年の4月だそうです。
4年後ですね、行きます!
玉照姫さんと兼平公をお祀りした玉照堂です。
なるほど
あのUFOみたいな可愛い笠は
玉照姫さんの笠だったのですね。
笠寺観音
かなり楽しいですよ。
なんでもあり、です。
おもかる地蔵さん、弘法さん、えびすさん、不動明王さん・・・
そして、六地蔵堂、行者堂、薬師堂・・・
芭蕉の千鳥塚と
宮本武蔵供養碑までありました。
笠寺観音から東に行ったところにある
鳴海町の三王山には
松尾芭蕉直筆の句石が残っているそうです。
星崎の 闇をみよとや 啼くちどり
現在は、住宅地の鳴海ですが
芭蕉が見た風景は千鳥啼く干潟だったようですね。
芭蕉は、ここでこの句を詠んだ2年後に奥の細道に旅立ちました。
鳴海で、何かひらめいたのでしょうか。
笠寺観音は旧東海道に面しています。
現在は県道222号線です。
道、狭いのに、交通量多いです。
観音さんあたりで道が大きくカーブしています。
ちょっと旧東海道を東に歩いてみました。
笠寺観音から
ちょっと東に行ったところに
笠寺一里塚がありました
江戸時代
五街道が整備され
街道には
一里塚はじめ
二~三里ごとに宿場が置かれました。
笠寺一里塚は88番目、つまり江戸から87里ってことですね。
旧東海道に立って
しみじみと江戸方面を眺めていたら
クラクションを鳴らされ、あぁ、びっくり・・・。
古地図の時代から、一気に平成にタイムスリップしてしまいました。
・・・・・・・・・・続く
古地図で歩く見晴台遺跡~呼続
東寺町をさらに東へ。
芸術創造センターから布池公園
そして布池教会あたりが南の端っこで
ここより北が御下屋敷です。
尾張徳川藩7代藩主の徳川宗春さま
8代将軍徳川吉宗の倹約経済政策に立ち向かい失脚。
幕府より、蟄居を命ぜられたのが1739年
吉宗が死去し、1754年に名古屋城三の丸から御下屋敷に移ります。
そして、御下屋敷で1764年に死去。享年69。
なんと25年も幽閉されていたんですね。
その御下屋敷
今は
園児たちがお遊戯をしたり@布池公園
アーメンな
布池教会などに生まれ変わっています。
布池教会を北上。
水筒先北の歩道橋でしばし休憩。
この水筒先(すいとうさき)という地名。
建中寺の構内の堀から
湧き出る清水をわたす樋(とい)があったことから
この町名が起こったとのこと。
ちなみに歩道橋から東の方向
愛知大学(真ん中のビル)がありますが
このあたりの町名は車道(くるまみち)です。
御下屋敷造営の際
東山あたりから石材を運ぶのに
車を引いて通ったところから
この町名がつけられたようです。
水筒先北の交差点を北上し
左は代官町商店街、右は筒井町商店街の交差点を
筒井町商店街の方向に右折。
すると建中寺です。
これ、総門。
総門をくぐると
そこは公園になっていて
公園を過ぎ
道路を渡ると
三門です。
ここは
尾張徳川の菩提寺です。
http://www.kenchuji.com/main.html
御下屋敷で亡くなった宗春さまもここ建中寺に埋葬されました。
が、幕府は、亡くなった後も宗春さまを許しませんでした。
お墓にまで金網をかけたそうです。
その金網がはずされたのはなんと75年後。
今は、平和公園で眠っていらっしゃいます。
その宗春さま
NHK名古屋のデジタルキャラクターになっています。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/ti_degi/08-mune/index.html
ちょっといぢられ過ぎなむねハルくん。
建中寺のすぐ隣には幼稚園があって
可愛いお子らの声が境内に響いて
のどかないいお寺さんでした。
鐘楼を過ぎると
白い経蔵が見えてきました。
一切経が収められています。
不動明王が祀ってある明王堂です。
毎月28日は縁日のご祈祷があるそうです。
あ、今日だったんですね。残念。
本堂です。
なんと、お彼岸ということで
三間四面の大觀經曼陀羅が
公開されていました。
ありがたいことです。
本堂の東西の回廊
よ~く見ると
白いプレートが貼ってありますよね。
このプレートの上に埋め木があしらわれています。
柱の節を縁起物や動物などでデザイン的に形作り、埋め込んであります。
当時の大工さんの技、おしゃれです。
もったいない精神ですね。
埋め木が取れた?
それとも虫食い?と思いきや・・・
若いおねえさんに
ご朱印をいただきました。
ここから西に向かって歩きます。
平田町の交差点を過ぎたあたりで南下すると
養念寺があります。
ここは
宗春さまの母上ゆかりのお寺だそうです。
このあたりをぶらぶら歩いていたら
鍋屋通りに迷い込みました。
「紫金堂」というギャラリーが・・・。
なんでも尾張藩の鋳物師
加藤忠三郎さんのお宅だそうです。
今の当主は12代目だそうです。
http://www.chuzabro.jp/index1.htm
こちらは尾張藩鋳物師頭の水野太郎左衛門宅跡です。
織田信長により
尾張国中の鐘、鰐口などを鋳造する特権を与えられ
江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々務め
なんと国内の鋳物の製造・販売は
すべてこの家を経たということです。
羽振りよかったんでしょうね、水野太郎佐衛門さん。
現在は、金物店です・・・。
鍋屋通りを南に折れたら
シンガポール料理のレストランを発見しました。
ラオ・パサ
http://www.1egg2minds.com/laopasa.html
久しぶりに
海南鶏飯(ハイナンジーファン)を食べました。
シンガポールの代表的な料理です。
さらに南下。
高岳(たかおか)交差点の北にある
高岳院(こうがくいん)へ。
6歳で亡くなった徳川家康の8男、仙千代の菩提を弔うために
甲斐から清洲へ、さらに名古屋に移したお寺だそうです。
桜通久屋の交差点まで歩き地下街へ。
地下街をうろうろして帰宅。
17910歩。消費カロリーは422.3㎉。脂肪燃焼量60.3g。
何にも知らずに歩いていると
見逃してしまいそうですが
古地図で歩くと、そこかしこに江戸時代に出会えます。
町名にも江戸時代はしっかりと息づいていました。
芸術創造センターから布池公園
そして布池教会あたりが南の端っこで
ここより北が御下屋敷です。
尾張徳川藩7代藩主の徳川宗春さま
8代将軍徳川吉宗の倹約経済政策に立ち向かい失脚。
幕府より、蟄居を命ぜられたのが1739年
吉宗が死去し、1754年に名古屋城三の丸から御下屋敷に移ります。
そして、御下屋敷で1764年に死去。享年69。
なんと25年も幽閉されていたんですね。
その御下屋敷
今は
園児たちがお遊戯をしたり@布池公園
アーメンな
布池教会などに生まれ変わっています。
布池教会を北上。
水筒先北の歩道橋でしばし休憩。
この水筒先(すいとうさき)という地名。
建中寺の構内の堀から
湧き出る清水をわたす樋(とい)があったことから
この町名が起こったとのこと。
ちなみに歩道橋から東の方向
愛知大学(真ん中のビル)がありますが
このあたりの町名は車道(くるまみち)です。
御下屋敷造営の際
東山あたりから石材を運ぶのに
車を引いて通ったところから
この町名がつけられたようです。
水筒先北の交差点を北上し
左は代官町商店街、右は筒井町商店街の交差点を
筒井町商店街の方向に右折。
すると建中寺です。
これ、総門。
総門をくぐると
そこは公園になっていて
公園を過ぎ
道路を渡ると
三門です。
ここは
尾張徳川の菩提寺です。
http://www.kenchuji.com/main.html
御下屋敷で亡くなった宗春さまもここ建中寺に埋葬されました。
が、幕府は、亡くなった後も宗春さまを許しませんでした。
お墓にまで金網をかけたそうです。
その金網がはずされたのはなんと75年後。
今は、平和公園で眠っていらっしゃいます。
その宗春さま
NHK名古屋のデジタルキャラクターになっています。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/ti_degi/08-mune/index.html
ちょっといぢられ過ぎなむねハルくん。
建中寺のすぐ隣には幼稚園があって
可愛いお子らの声が境内に響いて
のどかないいお寺さんでした。
鐘楼を過ぎると
白い経蔵が見えてきました。
一切経が収められています。
不動明王が祀ってある明王堂です。
毎月28日は縁日のご祈祷があるそうです。
あ、今日だったんですね。残念。
本堂です。
なんと、お彼岸ということで
三間四面の大觀經曼陀羅が
公開されていました。
ありがたいことです。
本堂の東西の回廊
よ~く見ると
白いプレートが貼ってありますよね。
このプレートの上に埋め木があしらわれています。
柱の節を縁起物や動物などでデザイン的に形作り、埋め込んであります。
当時の大工さんの技、おしゃれです。
もったいない精神ですね。
埋め木が取れた?
それとも虫食い?と思いきや・・・
若いおねえさんに
ご朱印をいただきました。
ここから西に向かって歩きます。
平田町の交差点を過ぎたあたりで南下すると
養念寺があります。
ここは
宗春さまの母上ゆかりのお寺だそうです。
このあたりをぶらぶら歩いていたら
鍋屋通りに迷い込みました。
「紫金堂」というギャラリーが・・・。
なんでも尾張藩の鋳物師
加藤忠三郎さんのお宅だそうです。
今の当主は12代目だそうです。
http://www.chuzabro.jp/index1.htm
こちらは尾張藩鋳物師頭の水野太郎左衛門宅跡です。
織田信長により
尾張国中の鐘、鰐口などを鋳造する特権を与えられ
江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々務め
なんと国内の鋳物の製造・販売は
すべてこの家を経たということです。
羽振りよかったんでしょうね、水野太郎佐衛門さん。
現在は、金物店です・・・。
鍋屋通りを南に折れたら
シンガポール料理のレストランを発見しました。
ラオ・パサ
http://www.1egg2minds.com/laopasa.html
久しぶりに
海南鶏飯(ハイナンジーファン)を食べました。
シンガポールの代表的な料理です。
さらに南下。
高岳(たかおか)交差点の北にある
高岳院(こうがくいん)へ。
6歳で亡くなった徳川家康の8男、仙千代の菩提を弔うために
甲斐から清洲へ、さらに名古屋に移したお寺だそうです。
桜通久屋の交差点まで歩き地下街へ。
地下街をうろうろして帰宅。
17910歩。消費カロリーは422.3㎉。脂肪燃焼量60.3g。
何にも知らずに歩いていると
見逃してしまいそうですが
古地図で歩くと、そこかしこに江戸時代に出会えます。
町名にも江戸時代はしっかりと息づいていました。
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