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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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今日第2土曜日は円空さんの日
 
荒子観音寺では
毎月第2土曜日の午後、円空仏が拝観できます。
 
せっかくなので
古地図片手にてくてく尾張名古屋とひっかけて
荒子の町を歩きました。
 
早昼を食べて、出発です。
名古屋駅まで出て、近鉄に乗り
伏屋(ふしや)という駅で降ります。
 
inutiyoroot.jpgこの犬千代ルートというのを歩きます。
 
犬千代とは
そう加賀百万石のお殿様
前田利家の幼名です。
 


そうなんです、荒子は前田利家が生まれた町。
 
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の三英傑にとどまらず
前田利家、加藤清正、柴田勝家、山内一豊、福島正則などの
そうそうたる戦国武将もまた尾張出身なんですね。
 
maedasokunenjisanmon.jpgまずは
前田速念寺(そくねんじ)へ。
 




maedasokunenjihondo.jpgおぉぉ
かぶいてますよ
本堂も。

まるで
利家の兜のようです。
 
maedasokunenjiume.jpg前田家の紋は
梅です。
 




maedasokunenjimaedajoato.jpgここは前田家発祥の地
前田城跡とされています。
 
利家はここで生まれ
7歳のときに
荒子城に移ったという説があるらしいです。
 



15歳のときに織田信長に仕え
「うつけ」つながりで、信長に可愛がられました。
 
その後、兄に代わって、前田家の家督を継ぎ
越前府中三万石を与えられ
戦、戦に明け暮れ
晴れて、能登一国を任され
本能寺の変のあとは豊臣秀吉に臣従し、加賀を加領され
ついに金沢城の主となります。
 
maedasokunenjiisikawaken.jpgということで
境内には
中部石川県人会の碑があります。
 




shonaigawa.jpg庄内川を渡って
龍潭寺(りゅうたんじ)へ。
 





ryutanjihondo.jpg慶正四年(1455年)創建の
立派なお寺さんです。
 




ryutanjimatu.jpg美しい松が印象的でした。

そういえば利家の奥さまは
まつさまでした。

まつさまは、七宝(あま市)出身です。
 

hoshoinniomon.jpghoshoinhondo.jpgさらに東へ
宝珠院(ほうしゅいん)を
めざします。
 



hoshoinkikukaisi3.jpgお庭の石が立派でした





hoshoinkikukaisi.jpg菊花石が






hoshoinkikukaisi2.jpgあちこちに・・・。







arakogawa.jpg荒子川を渡ります。
源は中村区
上流はこんなに川幅狭いんだ・・・
私は、昔、荒子川の下流に住んでいたので
思わず見入ってしまいました。





hojigongentenmangu.jpgここからさらに
冨士権現天満宮まで歩きました
 




arakojoato.jpg前田利家卿誕生の遺址
荒子城があった場所だそうです。
 
利家の生誕地は
ここと
前田速念寺(前田城跡)の
2説あるそうです。



青年時代は
槍の又左衛門と呼ばれた利家
この界隈をぶいぶいいわせて暴れ回っていたんでしょうか。
 
・・・・・・・・・・続く 

犬千代ルートを歩く
古地図で歩く荒子界隈~荒子観音寺








 
 
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9ef81b28.jpeg四間道を左折すると
円頓寺(えんどうじ)商店街が見えてきます。
 




endojishotengai2.jpgendojinodasen.jpg大須の商店街を
かなりしょぼくした感じ・・・。
 







大須は栄に近いということもあり
ヤングなお店がかなり増え活気が出てきましたが
円頓寺は、ちょっときびしい・・・。
 
endojiwayaeiga.jpg円頓寺を舞台にした映画「WAYA!」のチラシが
あちこちに貼ってありました。
http://www.nagom.jp/about.html
 
「WAYA」=わや、とは
「台無し」とか
「踏んだり蹴ったり」という名古屋弁です。
 

使い方はですね・・・
 
会長さん、カジノに凝ってまって、自分の会社わやにしてまったがや

 
endojikeieijitaido.jpg慶栄寺さん
門が閉まっていました。
こちらの太子堂は
1804年に
奈良の元興寺五重塔の古材を使って
建立されたそうです。
 
この日は閉まっていて拝見することはできませんでしたが
茶室があるようです。次回公開は12月7日。
 
endojikonpira.jpg金毘羅さんでお参り。
この金毘羅さんは
元は
名古屋城三の丸にあった
尾張藩重臣大道寺邸にまつられていたもの
1859年にこちらに移転。
 



08bf71c5.jpegそのお隣にあるのが圓頓寺(えんどうじ)です。
1654年創建。
本堂は、名古屋城築城の際の余材を拝領して
建てられたそうですが
結局
この総ケヤキの山門だけが戦災を免れました。
http://www1.m1.mediacat.ne.jp/endonji/#
 
endojikisimojin.jpg今日は
鬼子母神さんにお参りさせていただきました。
 
尾張徳川藩初代義直公の側室・貞松院さまにより
寄進された鬼子母神像がまつられています。
5月18日には本堂に遷座していただき
ご開帳法要が営まれるようです。
 
endojigoshuin.jpg鬼子母神さんの
ご朱印をいただきました。
 







そろそろお腹が空いてきました。ランチタイムです。
 
endojihaneebi.jpg慶栄寺のお向かいに
「はね海老」というお店がありました。
 
名古屋で海老と言えば・・・
そりゃあもう「海老ふりゃあ」でしょう。
 




endojihaneebilunch.jpgここの海老ふりゃあは
開いた海老です。
 
うま~い。
いい仕事してます。
 

endojihaneebitaol.jpgおしぼりも
なんだか海老っぽい?
 





endojimatukawaya.jpg松川屋道具店という
陶器もあるわ
漆器もあるわ
籠もあるわ・・・という
ひと昔前の雑貨屋を
ちょっと冷やかして・・・
 



endojihonmati.jpg江川線を渡って
円頓寺本町商店街へ。
 




endojihonmatishoten.jpgこっちも
似たり寄ったりの
活気のない商店街です。
 






TOStoshin.jpgHINというはちみつショtoshinhothoneylemon.jpgップを発見!
 さすがにお腹いっぱいで
雑穀飯のはちみつ野菜カレーは
食べられないので
ホットハニーレモン、いただきました。
クローバーとレンゲのはちみつ入り。
ほっこりしますね。

toshinhoney.jpgピロリ菌に効くという
ニュージーランド産のマヌカハニーも
各種ありました。
 



円頓寺、探せば面白いところもあるじゃないですか。
 
いつもは名古屋駅方面に来ると
JR高島屋近辺でランチして、お茶して・・・というコースですが
ちょっと足を伸ばせば
江戸チックな円頓寺ランチタイムが楽しめます。
 
古地図のおかげで
いろいろな名古屋と出会えます。
 
10729歩。消費カロリー255.2kcal。脂肪燃焼量36.4g。
 
もう少し時間があったら
堀川沿いをてくてくすることもできたんですけど・・・
それはまた次回ということで。

古地図で歩く円頓寺界隈~四間道






 
 
先日、名古屋駅方面に行く用事がありまして
その前に、ちょっと早めのランチを・・・と。
さて、どこでランチしようか?
 
そうだ、久しぶりに、円頓寺(えんどうじ)に行こう!
 
ということで
急遽、てくてく尾張名古屋です。
 
名古屋駅から地下街を歩いて、国際センタービルへ。
 
国際センタービルから地上に出て
まずは、四間道(しけみち)をめざします。
 
sikemitihyousiki.jpgsikemiti1.jpg四間道というくらいですから
道幅は四間です、約7.2m。
 







ときは、慶長15年(1610年)、名古屋城の築城が始まります。
 
それまでは、尾張の中心は清洲(きよす)だったのですが
築城後、町ぐるみで移動しました、例の「清洲越」。
 
この四間道のすぐ東は堀川です。
堀川は熱田の湊と名古屋城をつなぐ物流の要でした。
 
horikawagojo.jpgその堀川にかかる五条橋
元は、木の橋でしたが
昭和13年
コンクリート橋にかけ換えられました。
 



horikawagojohasigibosi.jpgこの五条橋の擬宝珠を見ると・・・
慶長7年壬刀六月吉日と彫られています。

清州の五条川から堀川へ
清洲越してきたわけですね。
 




horikawagojohasigibosirakugaki.jpgもちろん
元の橋にあったオリジナルの擬宝珠は
今は名古屋城に保管されています。

こんな落書きをする不届き者がいますから・・・。
 




しかし、元禄13年(1700年)の大火で
四間道の多くの町屋やお寺が焼けてしまいました。
そこで尾張藩4代藩主、徳川吉通は
道幅を四間に拡張しました。
それで、四間道と呼ばれるようになりました。
 
sikemiti2.jpg堀川沿いの商家の裏側にあたる四間道には
土蔵が多く建てられました。
 





sikemitifrench.jpg今でも、フレンチレストランやら
http://www.shikemichi.jp/





sikemitiglass.jpgガラス館に生まれ変わって
がんばっているお蔵もあります。
http://shikemichi-glass-gallery.com/default.aspx
 








・・・・・・・・・・続く

古地図で歩く円頓寺界隈~円頓寺

 






 
 
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