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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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金山神社を出て
さらにてくてく南下すると
高蔵公園が見えてきました
 

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takakurainarisha.jpg公園を入ってすぐ
赤鳥居が連なっています
 
高座(たかくら)稲荷社です
 
豊臣秀吉が子供の頃
母親に連れられて参詣したという社で
どうもお母さん、後の大政所さまは息子の出世を祈ったらしい
 

なので、この稲荷社は、太閤出世稲荷と呼ばれています
 
takakurainarishatorii.jpg私もお賽銭をはずんじゃいましたよ・・・
 
赤鳥居には
奉納した方々の名前や会社名が書いてあるんですが
ああ、あの会社も奉納しているんだと
ひとつひとつチェックなんかしたりして・・・

この日も会社関係のおじさんたちがお参りしていました
 
さらに奥へ・・・

takakuramusubimikijinja.jpg高座結御子(たかくらむすびみこ)神社があります
 
創祀は熱田神宮とほぼ同年
尾張氏の祖神、高倉下命(たかくらじのみこと)を
お祀りした
熱田神宮の境外摂社のひとつです
 

takakuramusubimikojinjagoshuin.jpg織田信長が本殿を造営し
後に蜂須賀氏が修造を加えたとされています
 
毎年、6月1日に「高座井戸のぞき」が行われ
子供の虫封じに霊験があるとのこと
 
今月の19日にも高座さんの井戸のぞきがあるらしい
 


takakurakaiduka.jpg境内に高蔵貝塚がありました
明治の末年、一大貝塚群が発見されました
 
神社の周囲には古墳もあり
この一帯は、高蔵遺跡と呼ばれています
 


今回、当日の朝、ふと思いついての決行だったので
実は、きちんと下調べがしてありません
行きあたりばったりのてくてく尾張名古屋・・・
 
やはりここまで来たら
あの古墳に行かなくては・・・
 
kokudo19.jpgと、美濃路(国道19号)を渡るべく
横断歩道橋へ
 





古墳は熱田公園にあるんですが
その北にあるお寺に
まるで磁石に引っ張られるように吸い寄せられました
 
seidaihijimon.jpg青大悲寺(せいだいひじ)
とっても静かなお寺です
 





お庭もきれいでした
seidahijiniwa6.jpgseidaihijiniwa1.jpgseidaihijiniwa2.jpg






seidaihijiniwa5.jpgseidaihijiniwa4.jpgseidaihijiniwa3.jpg
 






seidaihijikyujonet.jpgお寺の奥は熱田球場です
球児たちの声が聞こえます

愛知県では今日から
夏の高校野球の地方大会が始まりました
 


seidaihijijizodo.jpg山門の脇に小さなお堂があります
小さな穴から中をのぞくと・・・
 
なんか
真っ黒な仏さんが
いらっしゃる・・・
 

ああ、これが鉄地蔵だ
みらうじゅんさん&いとうせいこうさんの
「見仏記」で読みました

帰宅後、本を読み返しましたら
あぁぁぁぁ、金山駅の近くにある「観聴寺」にも
鉄地蔵さんがいらっしゃったようです
やはり下調べは大切ですね
 
seidaihijitutejizoiware.jpg青大悲寺は
きのという女性が開いた如来教の本山
当時の新興宗教だったようです

名古屋弁で語られる経典・・・気になります
 


尼寺です
なんかほっとしますよ、このお寺
ほっとするんだけど
妙な磁力があるのは、あの鉄のお地蔵さんだから?
 
キーワードは「鉄」ということで・・・
 
金山神社、鉄地蔵、尾張氏
そして熱田神宮・・・
つながっている感じがします
勉強不足の私にはわかりませんけど・・・
 
danpusankofun.jpg熱田公園内にある
断夫山(だんぷさん)古墳です
 
伝承では日本武尊の妃、宮簀姫(みやずひめ)の墓と
伝えられていますが
5~6世紀に尾張に勢力を伸張していた
尾張氏の首長の墓だといわれています
 
東海地方最大級の前方後円墳です
 
siratorikofun.jpgさらに南下すると
白鳥古墳があります
 
日本武尊の御陵との説もあります
 



hojiji.jpgその古墳の隣にお寺がありました
 
法持寺です
空海が武尊を慕って
地蔵像を祀ったのが始まりといわれています
 


hojijirikisizo.jpgあれ?境内の入口に力士の像が・・・
北の湖でしたkitanuumifi2.jpgkitanuumifi3.jpg
 







kitanoumifi1.jpgこのお寺は昭和32年から30年間
三保ヶ関部屋の宿舎になっていて

この部屋から横綱北の湖が誕生しました
 



北の湖の横には
松尾芭蕉と山岡荘八の歌碑もありました
 
そろそろ熱田神宮です
 
seiganjiyiritomofi.jpgその西側にある誓願寺へ
源頼朝の出生seiganjiyoritomoubuyuie.jpg地といわれています
頼朝の母は
熱田神宮大宮司藤原季範の娘
由良御前さま
どうもこのあたりは
その藤原氏の別邸だったようで
里帰りして
ここで出産したという説もあるようです
 
美濃路(国道19号)を渡って熱田神宮へ
 
miyakisimenmise.jpgすでに2時半
やっと昼ごはんです
 



miyakisimennomen.jpg神宮境内にある
宮きしめん神宮店で
その名もずばり
宮きしめんをいただきました
 



atutajingugoshuin.jpg熱田さんでお参りして
ご朱印をいただきました
 







2012nagoyaatutadohyoiri.jpg先週の土曜日(6月30日)
熱田神宮で
白鵬は恒例の奉納土俵入りを行いました

日本経済新聞より
 
明日からいよいよ名古屋場所が始まります
 
15452歩。消費カロリー367.1kcal。脂肪燃焼量52.4g。

電車に乗ればほんの1区の距離ですが
てくてく歩けばさまざまな歴史風景が楽しめます

そして・・・
 
鉄地蔵という珍しい仏さまにもお逢いすることができました
 
                            
 
いざ、名古屋ボストン美術館へ
古地図で歩く古墳への道~金山界隈
古地図で歩く古墳への道~熱田界隈


 
 
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ボストン美術館を出たのが12時ちょっと過ぎ
 
ちょっと雲行きがあやしくなってきましたが
なんとか熱田神宮まで歩けるかも~

久しぶりのてくてく尾張名古屋です
 

大きな地図で見る

sayakaidomitisirube.jpg国道19号(伏見通)をはさんだ向いにある
サークルK金山南店の前に
佐屋街道の道標が建っています
 
「南 左 さや海道 津しま道」と彫ってあります
 



saikaidomitisirube2.jpg反対側の面には
「北 文政 辛巳年 六月 佐屋旅籠中」
 
文政4年に
佐屋街道の旅籠屋仲間が
佐屋街道への分岐点に建てたものだそうです
 



この佐屋街道とは東海道の脇往還です
 
東海道五十三次の宮宿から桑名宿の間は
七里の渡しを利用しなければなりませんでした

約4時間ほどの船旅だったようです
 
しかし、台風の日には船は出ないし
船酔いする人だっているじゃないですか
そして、女子としてはトイレのことも気になる・・・
 
ということで、この佐屋街道は迂回路として利用されました
 
宮宿から美濃路(国道19号)を北上し
この佐屋街道に入って、佐屋宿まで、てくてく歩いて六里
 
佐屋宿から桑名宿までは川船で桑名宿まで三里の渡しです
 
結局、船には乗らなければならないのですが
川下りですし、三里なので
大まわりにはなりますが
このルートを利用する人も結構いたようです
特に女性や子供・・・
なので姫街道とも呼ばれています
 
一説には徳川家光が七里の渡しでひどい船酔いに苦しめられ
これを聞いた尾張藩主徳川義直が佐屋街道を整備したとも言われています
 
sayakaido.jpgこれが
佐屋街道です
 





owarigankojiato.jpg佐屋街道を少し行ったところに
元興寺があります
 
奈良の元興寺の系列で
一時期は、尾張の国分寺を代替していたようです
この地方では最も古いお寺だそうです
 

sayakaidomitisirube3.jpg再び
美濃路(国道19号)に戻り
「西 右 宮海道 左 なごや道」の標識通り
右折(南)して宮海道へ
 





kanayamajinja.jpg新尾頭交差点で左折(東)して
八熊通を100mほど歩くと
金山神社があります
 




どうもこの神社は
熱田神宮修理の鍛冶職だった尾崎氏の宅跡だったようで
尾張鍛冶の発祥地です
 
約600年ほど前に
尾崎善光さんが勧請して神社を創建したとのこと
 
名古屋市内外の金属業者の崇敬を集めていて
例祭は「ふいごまつり」といい
11月8日に行われています
 
kanayamajinjakanban.jpg毎月8日は
鉄砲刀剣類のお祓いをしてくれるみたいですね
神前結婚式もできるみたいです
 




この神社の名が
「金山」の地名になりました
 
kanayamajinjaana.jpg神社から
金山副都心のランドマークである
金山南ビルが見えます
 
名古屋ボストン美術館は
このビルの3~5階部分にあります
 

・・・・・・・・・・続く   

                           
 
いざ、名古屋ボストン美術館へ 
古地図で歩く古墳への道~金山界隈 
古地図で歩く古墳への道~熱田神宮界隈

 
 
明治30年
初代市川左團次一座公演の杮落しは
すさまじいほどの大盛況で
つま先立ちでの観劇となった御園座ですが・・・
 
あれから116年
 
misonozagaikan.jpg御園座は
6年連続の赤字となり
経営難にあえいでいます
 
去年の8月
老朽化が進む劇場の建て替え構想を発表しました
 
劇場を高層ビル化し
マンションを誘致すれば収益があがり
借入金を返済できると読んだのでしょうが
 
最近の名古屋・・・
 
活気のある名古屋駅前に比べ
栄・伏見地区は衰退の一途

御園座の経営再建計画やいかに・・・ 

来年から建て替え工事が始まる予定らしいのですが
その工事期間中
春と秋の歌舞伎公演用に
名古屋市が市民会館を貸し出すことになりました
 
市条例で
同一使用者の連続6日間以上の会館使用は原則認められていないのですが
そこはそれ
平成の徳川宗春(?)こと河村市長も
芸どころ名古屋の灯を守りたいと
この特例を了承したようです
 
そして御園座では
この4月から「さよなら公演」が始まりました
 
来月は六月大歌舞伎
市川海老像さんがかぶきます

misonozatiche1.jpg昼の部は
夏祭浪花鑑
 



misonozatiche2.jpg夜の部は
石川五右衛門
 





この興行に合わせて
かの石川五右衛門が
豊臣秀吉の寝室に忍び込んだとき
この千鳥が啼いたためお縄になってしまったという
「青磁香炉 銘 千鳥」が
徳川美術館で公開されています

市川海老像さんも見学されたようですね

misonodori.jpg先日のてくてく堀川
ちょっと足をのばして
御園座界隈も歩きました
 





御園座にいらっしゃるお客さま目当てのお店・・・
この工事期間中、どうするんでしょうか?
misonozakaiwai1.jpgmisonozakaiwai3.jpg






misonozakaiwai2.jpgmisonozakaiwai4.jpg







他人事ながらちょっと心配
 
siranamigoninotokokarakuri.jpg御園座の裏にある
「白浪五人男」のからくりです
 
日本初の台詞付きからくりだそうな・・・
 
「白浪五人男」の稲瀬川勢ぞろいの場面です
昭和4年に収録された当時の名優による
口上を聞くことができます
 

問われて名乗るもおこがましいが
産まれは遠州浜松在
十四の年から親に放れ
身の生業も白浪の沖を越えたる夜働き
盗みはすれど非道はせず
人に情を掛川から金谷をかけて宿々で
義賊と噂高札に廻る配附の盥越し
危ねえその身の境界も最早四十に
人間の定めはわずか五十年
六十余州に隠れのねえ賊徒の首領日本駄右衛門

 
迫力のある五人男の口上が楽しめます
 
動画を撮ったはずなんですが
どうもうまく撮れていませんでした
 
上から順番に

日本駄右衛門
弁天小僧菊之助
忠信利平
赤星十三郎
南郷力丸

五人男が口上を述べます
 
このからくりは
工事中も続けてくれるんでしょうか?

10:00~、12:00~、13:00~、15:00~ 17:00~
 
来年3月
四代目市川猿之助襲名披露を最後に
御園座は建て替え工事が始まります
 
さよなら公演の最後は
亀ちゃんなんですね



 
 
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