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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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東寺町をさらに東へ。
 
芸術創造センターから布池公園
そして布池教会あたりが南の端っこで
ここより北が御下屋敷です。
ositayasiki.jpg






尾張徳川藩7代藩主の徳川宗春さま
8代将軍徳川吉宗の倹約経済政策に立ち向かい失脚。

幕府より、蟄居を命ぜられたのが1739年
吉宗が死去し、1754年に名古屋城三の丸から御下屋敷に移ります。
そして、御下屋敷で1764年に死去。享年69。
なんと25年も幽閉されていたんですね。
 
nunoikekoen.jpgその御下屋敷
今は
園児たちがお遊戯をしたり@布池公園




nunoikekyokai.jpgアーメンな
布池教会などに生まれ変わっています。
 







higasikusuitosaki.jpg布池教会を北上。
水筒先北の歩道橋でしばし休憩。
 
この水筒先(すいとうさき)という地名。
建中寺の構内の堀から
湧き出る清水をわたす樋(とい)があったことから
この町名が起こったとのこと。
 
kurumamiti.jpgちなみに歩道橋から東の方向
愛知大学(真ん中のビル)がありますが
このあたりの町名は車道(くるまみち)です。

御下屋敷造営の際
東山あたりから石材を運ぶのに
車を引いて通ったところから
この町名がつけられたようです。
 
水筒先北の交差点を北上し
左は代官町商店街、右は筒井町商店街の交差点を
筒井町商店街の方向に右折。
 
kenchujisomon.jpgすると建中寺です。
これ、総門。
 




kenchujisanmon.jpg総門をくぐると
そこは公園になっていて
公園を過ぎ
道路を渡ると
三門です。
 


kenchujimonaoi.jpgここは
尾張徳川の菩提寺です。
http://www.kenchuji.com/main.html
 




御下屋敷で亡くなった宗春さまもここ建中寺に埋葬されました。
 
が、幕府は、亡くなった後も宗春さまを許しませんでした。
お墓にまで金網をかけたそうです。
その金網がはずされたのはなんと75年後。
今は、平和公園で眠っていらっしゃいます。
 
その宗春さま
NHK名古屋のデジタルキャラクターになっています。
http://www.nhk.or.jp/nagoya/ti_degi/08-mune/index.html
ちょっといぢられ過ぎなむねハルくん。
 
建中寺のすぐ隣には幼稚園があって
可愛いお子らの声が境内に響いて
のどかないいお寺さんでした。
 
kenchujikyozo.jpg鐘楼を過ぎると
白い経蔵が見えてきました。
一切経が収められています。
 






kenchujihudo.jpg不動明王が祀ってある明王堂です。
毎月28日は縁日のご祈祷があるそうです。
あ、今日だったんですね。残念。
 




kenchujihondo.jpg本堂です。
なんと、お彼岸ということで
三間四面の大觀經曼陀羅が
公開されていました。
ありがたいことです。
 


kenchujihondoumeki.jpg本堂の東西の回廊
よ~く見ると
白いプレートが貼ってありますよね。
 




このプレートの上に埋め木があしらわれています。
柱の節を縁起物や動物などでデザイン的に形作り、埋め込んであります。
当時の大工さんの技、おしゃれです。
もったいない精神ですね。
kenchujiaoi.jpgkenchujibudo.jpgkenchujikikyo.jpg

 




kenchujikoban.jpgkenchujikomori.jpgkenchujishogi.jpg







埋め木が取れた?
それとも虫食い?と思いきや・・・

kenchujihoju.jpgkenchujiinome.jpg

 





kenchujigoshuin.jpg若いおねえさんに
ご朱印をいただきました。
 







yonenji.jpgここから西に向かって歩きます。
平田町の交差点を過ぎたあたりで南下すると
養念寺があります。
ここは
宗春さまの母上ゆかりのお寺だそうです。
 


e5d5ebb4.jpegこのあたりをぶらぶら歩いていたら
鍋屋通りに迷い込みました。
「紫金堂」というギャラリーが・・・。
なんでも尾張藩の鋳物師
加藤忠三郎さんのお宅だそうです。
今の当主は12代目だそうです。
http://www.chuzabro.jp/index1.htm
 
mizunotarozaemonteiato.jpgこちらは尾張藩鋳物師頭の水野太郎左衛門宅跡です。
織田信長により
尾張国中の鐘、鰐口などを鋳造する特権を与えられ
江戸時代、尾張藩の鋳物師頭を代々務め
なんと国内の鋳物の製造・販売は
すべてこの家を経たということです。

羽振りよかったんでしょうね、水野太郎佐衛門さん。
現在は、金物店です・・・。


laopasa.jpg 鍋屋通りを南に折れたら
シンガポール料理のレストランを発見しました。
 
ラオ・パサ
http://www.1egg2minds.com/laopasa.html
 



laopasahainan.jpg久しぶりに
海南鶏飯(ハイナンジーファン)を食べました。
シンガポールの代表的な料理です。
 




さらに南下。
 
高岳(たかおか)交差点の北にある
高岳院(こうがくいん)へ。
6歳で亡くなった徳川家康の8男、仙千代の菩提を弔うために
甲斐から清洲へ、さらに名古屋に移したお寺だそうです。
 
桜通久屋の交差点まで歩き地下街へ。
地下街をうろうろして帰宅。
 
17910歩。消費カロリーは422.3㎉。脂肪燃焼量60.3g。
 
何にも知らずに歩いていると
見逃してしまいそうですが
古地図で歩くと、そこかしこに江戸時代に出会えます。
 
町名にも江戸時代はしっかりと息づいていました。








 
 
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こりゃ
おぉ 建中寺ですね。埋め木、面白いです。他のものは分かるのですが、蝙蝠ってその時代、身近な動物だったんだと、意外でした。

大觀經曼陀羅すごいですね。三間四面って、圧巻でしょうね。徳川家のものだから、クオリティも高そう。

これだけ歩けば、こりゃ筋肉痛になりますね。お疲れ様でした。楽しませていただきました。
どんと 2011/09/28(Wed)20:53:47 編集
歩いた距離は
どんとさん

斑鳩の里、近江とさほど変わらず、その時は、なかったんです、筋肉痛。なのに、今回、ふくらはぎが痛かったということは、やはりトーニングシューズの効果があったんでしょうか?

建中寺の曼荼羅、ああ、これが極楽なのね、と感動しましたよ。
madamyam 2011/09/28(Wed)22:53:40 編集
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