忍者ブログ
わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
[1758]  [1757]  [1756]  [1755]  [1754]  [1753]  [1752]  [1751]  [1750]  [1749]  [1748
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

先週のBS歴史館は

シリーズ日本のフィクサー2「藤原氏 日本の権力構造のルーツ」でした

 

奈良文化財研究所の馬場基先生が

藤原不比等が平城京において自分の権力を示すために

「ある仕掛け」を施したというお話をされていました

 

平城京の入口でから伸びる朱雀大路の真正面にあるのは

朱雀門であり、大極殿

それは現在でも見ることができます

 

そしてそこから目線を北東にふると

興福寺の五重塔も見えます

 

不比等はその入口から

天皇のお住まいだけでなく藤原氏の氏寺が見えるように

そういう場所を選んで興福寺を建立しました

 

興福寺の南にある猿沢池から興福寺を見ると・・・

 

池の北は高くなっていて

その上に興福寺が建っています

 

奥に見えるのは現在再建中の中金堂です

かつてはこの階段の向こうに南大門がありました



以前、馬場基先生が

かつて興福寺の東金堂の西は谷になっていたと何かに書いていらっしゃいました

その谷は南大門を通って南に開けていたようです

 

この階段部分は、昔は谷だったわけです

ということはこの崖は人工的な崖ってことです

 

興福寺は平城京の鬼門にあり


その鬼門を守ると同時に

そこから見下ろして京をコントロールできる場所でなければならない

 

不比等は京の入口から氏寺を見通すことができるように

大規模な土木工事を行って意図的に高くしたんですね

 

権威や権力が京の中でどう存在しているかを見せるために

緻密な計算はもちろんのこと並々ならぬ努力をしていた藤原氏

 

この何気ない数mの崖部分に

不比等のすさまじい執念を見ることができます



PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
順調
あら~ 再びですね。VTRの中での登場ですか?
よ~し! このまま、奈良時代のレギュラーをいただいちゃいましょう。

今年も馬場先生、お仕事順調でしたね。よかった よかった。
体にだけは気をつけて、来年もガンバです!

なるほど、土も力も「盛った」んですね。
読んで、しばし心が興福寺へ飛んで行きました。ありがとうございました。
どんと 2013/12/18(Wed)02:22:05 編集
がんばっておられます
どんとさん

磯田先生が近世で、中世が本郷先生、奈良時代は馬場先生・・・こんな感じで決めてくれるといいですね

今回の奈良は、東大寺だけしかまわれなくて・・・。本当は久しぶりに東金堂も行きたかったんですけどね

madamyam 2013/12/18(Wed)22:35:11 編集
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
きょうのお月さん
Today's Moon phase
コメントありがとうございます
[10/26 madamyam]
[10/26 蟹満寺薬師徳光和夫]
[04/29 madamyam]
[04/28 おにぎりヴィヴァルディ]
[04/28 madamyam]
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
madamyam
性別:
女性
趣味:
旅行 お寺めぐり
バーコード
カウンター
Copyright © きょうのちょい福 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]