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時間軸が微妙に狂ってきたので
京都御苑のイチョウの絨毯を歩きながら明治の新島八重さんモードにリセットしました
今出川御門を出ると
目の前には赤レンガの同志社大学の校舎が並んでいました
大河ドラマ「八重の桜」でお馴染みの校舎です
襄さんが亡くなってから建てられた校舎の方が多いですが
おふたりの強い信念が宿る学び舎
見学の方々も少なからずいらっしゃいました
こちらは新島遺品庫です
どんなものが収められているんだろうと調べてみましたら・・・
自らの手を強打したあの自責の杖も収められています
約6000点の品々を収蔵
設計はヴォーリズ氏
新島襄さん没後50年を記念して造られました。1942年(昭和17年)
その遺品庫の奥に建っているのが啓明館です。1920年(大正9年)
現在は研究棟になっていますが
昔は図書館として利用されていました
設計はヴォーリズ氏
さらに北、相国寺の総門の手前に建つのがアーモスト館。1932年(昭和7年)
コロニアルな雰囲気がアーリーアメリカンって感じです
新島襄さんの母校、アーモスト大学との友好関係から建てられた学生寮だそうです
設計はヴォーリズ氏
初代の図書館です。啓明館は二代目
設計はD.C.グリーン氏
重厚なんですが威圧感がない・・・
雨が降っていたんですが、傘もささずに思わず見入ってしまいました
八重の桜の年表を見ると
明治20年に、姪っ子のみねが亡くなっています
しかし、この有終館、昭和3年に火事で焼けてしまいます
そこで立ちあがったのが、最近、私が気になっているあの建築家です
焼け残った軀体を修理保存設計したのは武田五一氏でした
尖塔部分を45度の角度をつけたことでとても印象的なフォルムになっています
設計は、ドイツ人のR.ゼール氏
新島襄さんの死を悼み卒業生たちがこの神学館の建設を計画し募金を始めますが
なかなか集まらず、半ばあきらめていたところ
アメリカのクラーク夫妻の寄付により着工にこぎつけることができました
明治27年といえば日清戦争が勃発した年
先回の予告編を見たら
八重さんは従軍篤志看護婦として広島で負傷兵たちの看護をしていました
いよいよ最終回ですね
その名もハリス氏の寄付によって1890年(明治23年)に竣工
上棟式のわずか前に襄さんは亡くなられました
今年リニューアルされまして
常設展示や企画展
キャンパス出土考古学・古文書資料による
創立以前の京都の歴史を紹介する展示室などが設けられました
ということで中に入ると・・・
かつて天文台もあったらしく
これはその天文台に通じる階段です(現在、天文台はありません)
D.C.グリーン氏による設計で、1886年(明治19年)
日本に現存する最古の赤レンガ造りのプロテスタント教会だそうです
1884年(明治17年)にアメリカンボードの寄付により竣工しました
設計はD.C.グリーン氏
時計塔と鐘塔を兼ねた塔が印象的です
屋根は瓦葺なんですね
今出川キャンパスの中でも一番古い赤レンガ校舎です
竣工した1884年、資金集めのために襄さんは欧米を回っていました
命を削りながら大学設立のために奔走した
新島襄さんの魂が刻まれている赤レンガ校舎・・・
ドラマの新島夫妻の姿が重なって、胸が熱くなりました
雨が降り出してきたので全てまわることができず
かなり撮りこぼしもあります
お隣の同志社女子大も行きたかったのですがさすがにギブアップ
またの機会に回りたいです
・・・・・・・・・・続く
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