忍者ブログ
わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
[3]  [4]  [5]  [6]  [7]  [8]  [9]  [10]  [11]  [12]  [13
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

siryomikawa.jpg2009年から2010年に
西尾市の岩瀬文庫で開催された講座が
活字化されました





史料から読み解く三河: 西尾市岩瀬文庫特別連続講座
 
1.丸山御所の時代~松井直樹
2.古代三河の国府・条里・交通路~金田章裕
3.藤原仲麻呂の乱と西三河~荒木敏夫
4.参河の海の贄木簡のかたること~馬場基
5・「万葉集」から持統上皇三河行幸を読み解く~原秀三郎
 
奈文研の馬場基先生のこの講座は
私、去年、受講いたしましたので
その講座を思い出しながら読みました
 
先日、大和郡山の講座終了後
ちょっと先生とお話することができまして
そのときに
この本のことにも少し触れました
 
馬場先生の講座もそうですが
他の先生たちの講座も、ちょっと、いやかなりむずかしかったようで・・・
 
そこで
よりわかりやすく文章化していただいたんですけど
やはりむずかしい・・・・
 
しかし
伊勢湾、三河湾を叉にかけて活動していた
古代の人たちのパワーを感じることはできました



 
 
PR
横山口まで戻り
矢田坐久志玉比古神社(やたいますくしたまひこじんじゃ)という
長~い名前の神社をめざして歩きました
 
へとへとで、足もちょっと痛かったのですが
七福神に背中を押されてがんばりました
 
yataimasukusitamapuropera.jpg楼門に
プロペラ?
 





こちらのご祭神は櫛玉饒速日命(くしたまにぎはやひみこと)と
御炊屋姫命(みかしきやひめみこと)
 
yataimasukusitamajinja.jpg櫛玉饒速日命が
天空から天磐船(あめのいわふね)に乗って
三本の矢を地上に射放ち
そのうちの二の矢が落ちた地なんだそうです
 
話のスケール、でかすぎ・・・
 

天磐船に乗って降臨されたということで
航空祖神として航空関係者から崇められていまして
昭和18年に
大日本飛行協会から陸軍九一式戦闘機のプロペラが奉納されました
 
ということで
楼門のプロペラは戦闘機のプロペラだったんですね
 
今、息子はインターンシップで
調布のJAXAに行ってます
私、航空祖神に、息子のこと、お願いしてきました
 
ところで
櫛玉饒速日命と御炊屋姫命の間に生まれたのは
宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)
 
物部氏の祖神です
 
yataimasujinjashuin.jpgご朱印をいただいたときに
「尾張から来ました」と言いましたら

「こちらの神社は尾張と深いつながりがあります」と
おしゃっていました
 




名古屋市東区に
その名もずばり物部神社があります
もちろん、ご祭神は宇摩志麻遅命
 
名古屋市北区にある味鋺(あじま)神社も
ご祭神は宇摩志麻遅命
 
あと千種区の高牟(たかむ)神社は
今でこそ「恋の三社めぐり」のひとつになっていますが
もともとは尾張物部氏の武器庫が起源と言われています
 
古代尾張の東部には物部氏の集落があったようですね
歩いてみたいです、尾張物部氏ルート
 
大和と尾張がすっとつながったところで
再び、横山口のバス停に戻り、近鉄郡山駅へ
 
さて、どのルートで尾張に戻ろうか?
 
足が痛いにもかかわらず
koriyamayakuenhatiman.jpg途中
薬園八幡神社でお参りし




koriyamasotobori.jpg外堀を渡り








koriyamamatinami.jpg江戸時代の町割りが残る
城下町を早足で歩いて

JR郡山駅をめざしました
 



JRkamoyuyake.jpg結局、JR関西本線で
ちんたらちんたら各駅停車の道中になりました
JR加茂駅の夕焼けです
 
関西本線の風景も好きなんですよね
 


21:00頃、帰宅
 
26390歩。消費カロリー563.1kcal。脂肪燃焼量80.4g。

馬場先生のおかげで
大和郡山を旅することができました

そして行きたくてもなかなか行けなかった
松尾寺、矢田寺でお参りすることもできました

奈良はやっぱりいいですね

馬場先生、どうもありがとうございました
そしてこのような講座を企画していただいた
大和郡山市のみなさま、どうもありがとうございました

実り多き1日を過ごすことができました

 
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺 
矢田坐久志玉比古神社





 
 
松尾寺口からバスに乗り
横山口で下車
 
そこから矢田寺(やたでら)をめざします
 
矢田寺へのバスは本数が少ないので
横山口から歩きます、1.5kmほど
 
yataderasanmon.jpgだらだら坂を上っていくと
山門が見えてきました
 







yataderakaidan.jpgマジ?
 
この後、階段はクネッ、クネッ、クネッ、クネッと
曲がりながら続きます
 





yataderasando.jpgまっすぐな参道の奥に
本堂があります
 





yataderahondo.jpg矢田寺は今から約1300年前
大海人皇子(後の天武天皇)が
壬申の乱の戦勝祈願のために矢田山に上り
即位後、造営させたお寺です
 



当初、ご本尊は十一面観音と吉祥天女でしたが
後に満米上人によって地蔵菩薩が安置されてからは
地蔵信仰の中心として栄え
ご本尊も地蔵菩薩となりました
参道にも境内にも地蔵石仏がありましたが
撮ったはずなのになぜか消えていました
 
またいらっしゃい、ということでしょうか?
 
ここのお地蔵さまは
錫杖を持っていらっしゃいません
矢田型地蔵というらしいです
 
そうそう
この世とあの世を毎晩行き来していた小野篁さん
満米上人を慕って
しばしば矢田寺に詣でていたそうです
 
こういう伝説が残っていて
小野篁さんの足跡が感じられるのは感慨深いものがあります
 
かつてのご本尊、十一面観音さんは
現在は秘仏で
常時拝観はできないようです、残念・・・
 
yataderadaimonbo.jpg本堂にはどなたもいらっしゃらなかったので
参道の途中にあった大門坊へ
 
一千体の地蔵尊を安置しているそうです




yataderashuin.jpgご朱印は
大門坊でいただきました
 







横山口まで戻る途中
塀の上に七福神を発見!(撮影できたのは5体だけでしたが・・)
yatasitifukujin1.jpgyatasitifukujin2.jpgyatasitifukujin3.jpg






yatasitifukujin4.jpgyatasitifukujin5.jpg
 






塀の向こうから
3、4歳くらいの女の子の声がしました
 
馬場先生にもこのくらいの年のお子さんがいらっしゃるようで
最近の保育園では童謡を教えないんですよね、とおっしゃっていました
 
童謡もそうですが
唱歌もあまり歌いませんよね
 
私、息子の小・中・高校の卒業式で
一度も「仰げば尊し」を聞きませんでした
 
よくわからないJPOPみたいな歌を歌って卒業しました
 
七福神のお宅では
たぶんこの女の子は「これ、な~に?」と親や祖父母に尋ね
これはね、七福神と言ってね・・・という会話があるんでしょうね
 
伝承していくということ
それは歴史を伝えていくことでもあるんですが
馬場先生のお話を聞いて・・・
小野篁さんの伝説を知って・・・
そして七福神のいる塀を見て・・・
これってすごく大切なことだな、と改めて思いました
 
そんなことをつらつら考えながら
次なる神社をめざします
 
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺 
矢田寺 
矢田坐久志玉比古神社
 
・・・・・・・・・・続く




 
 
カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
きょうのお月さん
Today's Moon phase
コメントありがとうございます
[10/26 madamyam]
[10/26 蟹満寺薬師徳光和夫]
[04/29 madamyam]
[04/28 おにぎりヴィヴァルディ]
[04/28 madamyam]
アーカイブ
ブログ内検索
プロフィール
HN:
madamyam
性別:
女性
趣味:
旅行 お寺めぐり
バーコード
カウンター
Copyright © きょうのちょい福 All Rights Reserved.
Designed by 10p
Powered by Ninja Blog

忍者ブログ [PR]