わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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講座終了後、馬場先生と少しお話をしまして
「この後、稗田町へ行かれては?」とすすめられましたが
私、すでに午後のスケジュールをびっしりと計画していましたので
後ろ髪ひかれながら
奈良交通のバスに乗って、めざす松尾寺(まつおでら)へ
松尾寺口で降りて歩きます
お寺まで2㎞
ちょっと遠いけど
まあ、楽勝でしょう、なんて思っていたら
途中からかなりの上り坂になりまして・・・
実は私、あわててバスに乗ったので昼飯前で・・・
正直、かなりきつかったです、スタミナ切れですね
やはり馬場先生おすすめの稗田町に行くべきだったか?
でも松尾寺の大黒天さまにぜひ逢いたい
半ば意地になって
坂を上がりきり
やっとこさ松尾寺に到着
マジ?
這うようにして
なんとか階段を上りきり
本堂でお参り
ご本尊は千の手と千の眼を持つ厄除観音さま
ご開帳は11月3日のみ
http://www.matsuodera.com/special.html
ここ松尾寺は
718年、天武天皇の皇子、舎人親王が「日本書紀」を編纂されるとき
その完成とご自身の42歳の厄除けの願いをこめて建立されたといわれています
日本最古の厄除け霊場です
日本書紀完成1300年の平成32年(2020年)
馬場先生、またお忙しくなりますね
三重塔を見上げながら
お弁当タイム
境内の石仏には
みな赤い前掛けが・・・
こちらは
千手観音さん
不動明王さんの
前掛け姿・・・可愛いです
午後のスケジュールはかなりタイトなので
ゆっくり休憩している時間はなく
三重塔に続く階段を上り
さらに階段を上って
松尾神社へ
いいお参りでしたと
ご朱印をいただき
階段を下り
七福神堂へ
七福の神々が祀られている七福神堂に
私の憧れの大黒天さまが
いらっしゃいます
大黒天さんといえば
たとえば神田明神の大黒天さんならば
福袋をかつぎ
打出の小槌を持ち
にっこり笑った福々しい長者さま・・・ですが
松尾寺の大黒天さんは
福袋こそかついでいますが
眉間に皺をよせ、割とスリム?でいらっしゃる
最古型の大黒天で
なんと弘法大師さまの作と伝えられているそうです
凛々しくて素敵!
足の疲れも一気に吹き飛んでしまいました
ご朱印は
七福神でいただきました
そういえば、馬場先生、来年、厄年ですね
しっかりご祈祷なさってください
松尾寺の帰り道
遠くに山焼け後の若草山が見えました
まだまだお寺めぐりは続きます
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺
矢田坐久志玉比古神社
・・・・・・・・・・続く
「この後、稗田町へ行かれては?」とすすめられましたが
私、すでに午後のスケジュールをびっしりと計画していましたので
後ろ髪ひかれながら
奈良交通のバスに乗って、めざす松尾寺(まつおでら)へ
松尾寺口で降りて歩きます
お寺まで2㎞
ちょっと遠いけど
まあ、楽勝でしょう、なんて思っていたら
途中からかなりの上り坂になりまして・・・
実は私、あわててバスに乗ったので昼飯前で・・・
正直、かなりきつかったです、スタミナ切れですね
やはり馬場先生おすすめの稗田町に行くべきだったか?
半ば意地になって
坂を上がりきり
やっとこさ松尾寺に到着
なんとか階段を上りきり
本堂でお参り
ご本尊は千の手と千の眼を持つ厄除観音さま
ご開帳は11月3日のみ
http://www.matsuodera.com/special.html
ここ松尾寺は
718年、天武天皇の皇子、舎人親王が「日本書紀」を編纂されるとき
その完成とご自身の42歳の厄除けの願いをこめて建立されたといわれています
日本最古の厄除け霊場です
日本書紀完成1300年の平成32年(2020年)
馬場先生、またお忙しくなりますね
お弁当タイム
みな赤い前掛けが・・・
こちらは
千手観音さん
前掛け姿・・・可愛いです
午後のスケジュールはかなりタイトなので
ゆっくり休憩している時間はなく
さらに階段を上って
松尾神社へ
ご朱印をいただき
七福神堂へ
七福の神々が祀られている七福神堂に
私の憧れの大黒天さまが
いらっしゃいます
大黒天さんといえば
たとえば神田明神の大黒天さんならば
福袋をかつぎ
打出の小槌を持ち
にっこり笑った福々しい長者さま・・・ですが
松尾寺の大黒天さんは
福袋こそかついでいますが
眉間に皺をよせ、割とスリム?でいらっしゃる
最古型の大黒天で
なんと弘法大師さまの作と伝えられているそうです
凛々しくて素敵!
足の疲れも一気に吹き飛んでしまいました
七福神でいただきました
そういえば、馬場先生、来年、厄年ですね
しっかりご祈祷なさってください
遠くに山焼け後の若草山が見えました
まだまだお寺めぐりは続きます
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺
矢田坐久志玉比古神社
・・・・・・・・・・続く
PR
今回は京都から近鉄に乗って奈良入りしました
いつもは名古屋からJR関西本線で
または名古屋から近鉄で
三重県(JRの場合、京都の端っこをかすめますが)を通って奈良に入りますので
京都から近鉄に乗って奈良入りするのは
実は今回が初めてでした
東寺のすぐ横を走っていきます
大和西大寺を過ぎ
垂仁天皇陵が見えてくると
左手側に唐招提寺の杜が広がり
薬師寺が見えてきます
ただ今、東塔は修理中なので
鉄筋の素屋根にすっぽりと覆われていました
と、まもなく近鉄郡山駅に到着
馬場先生の講座までに
1時間近く時間がありましたので
会場近くにある郡山城跡へ
途中、本家菊屋で
御城之口餅をゲット!
天正年間(1580年代)に
豊臣秀長が
兄の秀吉をもてなすお茶会で
献上された餅菓子です
「うみゃあでいかんわ」と
お気に召された秀吉が
「鶯餅」と命名したそうな・・・
一口サイズのおいしい鶯餅です
お雛さまも飾られていて
ついつい
可愛い砂糖菓子も買ってしまいました
ということで
郡山城は秀吉の弟、豊臣秀長の100万石のお城でした
今は石垣&お堀と
復元された
櫓と城門があるのみ
最初の城主、筒井順慶は
明智光秀亡きあと、豊臣秀吉VS柴田勝家の衝突に備え
かなり急いで郡山城の守りをかためたようで

この乱雑な
野面積みの石垣・・・
郡山や奈良あたりの石をかき集めて積み~の
平城京羅城門の礎石も積み~の
果てはお地蔵さんまで積み~の

そのお地蔵さんは
うつぶせに積まれていて
「逆さ地蔵」と
ガイドブックにも載っていますが
柳澤神社でご朱印をいただいたときに
神社の方にお話を聞きましたら
どうも霊媒師が
このお地蔵さんを見つけ出し
ここでお祓いと称して商売していたらしく
「ありがたくもなんともないですよ」とおっしゃっていました
その後、豊臣秀長により郡山城は拡張され
秀長死後、城主はころころ変わり
柳沢吉里が甲府から国替えで郡山城に移ってきてから城下は落ち着き
明治維新まで続いたそうです
お参りさせていただいた
柳澤神社ですが
その吉里の父、吉保を祀って創建された神社で
ご朱印を書いてくださった方は
柳沢家の方でした
この柳沢家はとても文化的なお家で
城下は学問はじめ芸術、茶道&華道も栄えたそうです
柳沢文庫は歴史資料も数多く所蔵しており
馬場先生は講座の前にこちらに寄られたそうです
散歩中の犬に飛びつかれたりなどしながら
馬場先生の講座の会場「やまと郡山城ホール」に急ぎました
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺
矢田坐久志玉比古神社
・・・・・・・・・・続く
いつもは名古屋からJR関西本線で
または名古屋から近鉄で
三重県(JRの場合、京都の端っこをかすめますが)を通って奈良に入りますので
京都から近鉄に乗って奈良入りするのは
実は今回が初めてでした
東寺のすぐ横を走っていきます
大和西大寺を過ぎ
垂仁天皇陵が見えてくると
左手側に唐招提寺の杜が広がり
薬師寺が見えてきます
ただ今、東塔は修理中なので
鉄筋の素屋根にすっぽりと覆われていました
と、まもなく近鉄郡山駅に到着
馬場先生の講座までに
1時間近く時間がありましたので
会場近くにある郡山城跡へ
御城之口餅をゲット!
豊臣秀長が
兄の秀吉をもてなすお茶会で
献上された餅菓子です
お気に召された秀吉が
「鶯餅」と命名したそうな・・・
一口サイズのおいしい鶯餅です
ついつい
可愛い砂糖菓子も買ってしまいました
ということで
郡山城は秀吉の弟、豊臣秀長の100万石のお城でした
櫓と城門があるのみ
最初の城主、筒井順慶は
明智光秀亡きあと、豊臣秀吉VS柴田勝家の衝突に備え
かなり急いで郡山城の守りをかためたようで
野面積みの石垣・・・
郡山や奈良あたりの石をかき集めて積み~の
平城京羅城門の礎石も積み~の
果てはお地蔵さんまで積み~の
そのお地蔵さんは
うつぶせに積まれていて
「逆さ地蔵」と
ガイドブックにも載っていますが
神社の方にお話を聞きましたら
どうも霊媒師が
このお地蔵さんを見つけ出し
ここでお祓いと称して商売していたらしく
「ありがたくもなんともないですよ」とおっしゃっていました
その後、豊臣秀長により郡山城は拡張され
秀長死後、城主はころころ変わり
柳沢吉里が甲府から国替えで郡山城に移ってきてから城下は落ち着き
明治維新まで続いたそうです
柳澤神社ですが
その吉里の父、吉保を祀って創建された神社で
ご朱印を書いてくださった方は
柳沢家の方でした
この柳沢家はとても文化的なお家で
城下は学問はじめ芸術、茶道&華道も栄えたそうです
柳沢文庫は歴史資料も数多く所蔵しており
馬場先生は講座の前にこちらに寄られたそうです
散歩中の犬に飛びつかれたりなどしながら
馬場先生の講座の会場「やまと郡山城ホール」に急ぎました
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺
矢田坐久志玉比古神社
・・・・・・・・・・続く
当世語り部口座第1回目の講師は
奈良文化財研究所の馬場基先生でした
抽選だったんですよ、2人のうち1人はハズレ・・・という倍率でした
今年もターコイズパワー、ひきずっています、私・・・
演題は「都びとの声をひろう」
古事記の編纂に大きな役割を果たしたのは
ご存じ稗田阿礼(ひえだのあれ)と太安万侶(おおのやすまろ)です
この稗田阿礼は郡山市稗田町近辺に本貫地をかまえる
稗田氏の出身といわれており
なんでも非常に聡明な人で
その能力をかわれて天武天皇の命を受け
帝記、旧辞を口承し
それを太安万侶が筆記して古事記が完成しました
私、口頭の言葉と文字の出会いに以前から興味がありまして
中国語を勉強しようと思ったのも
そこらあたりを知るためだったりしたのですが
そもそもベーシックな知識がないので
ただ徒に勉強しただけで
なんとなくフェイドアウト・・・
この口頭の言葉と文字の出会いこそが記紀万葉の世界なわけで・・・
今回の講座のテーマでした
しかし講座はたったの2時間・・・
どうも先生はこのあたりのテーマを3回のシリーズで組んでいらっしゃるらしく
この後、また別のエリア2ヶ所の講座でお話が完結するとのこと
さすがに全部は行けません
と思っていたら
どうも郡山市は当世語り部口座全10回が終わったあと
これらを活字化するそうです
馬場先生は
この3回分の講座内容をまとめて書かれるそうです
楽しみです、首を長~くして待ちます
そして・・・
先生は今、藤原麻呂、そう不比等の四男坊を研究していらっしゃるようで
単独だったか、共著だったかちょっと忘れてしまいましたが
こちらもそのうち活字化されるようです
先生、がんばってください
今日はうれしいことがありました
講座終了後
なんと先生からお声をかけていただきました
「西尾の講座にもいらっしゃいましたよね」
覚えていてくださったんですね、うれしい!
冥土の土産が増えました
これを励みにまたがんばって勉強いたします
馬場先生、今日はどうもありがとうございました
あっと言う間の2時間でした、楽しかったです
郡山城跡
当世語り部口座第1回 語り部:奈良文化財研究所 馬場基
松尾寺
矢田寺
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