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雨を覚悟で京都へ
果たせるかな春の青春18きっぷは満開の桜を用意してくれました
京都駅で山陰本線に乗り換えて、嵯峨嵐山駅で下車
実は、この山陰本線、まるでラッシュアワーのような混み方
これはもう嵯峨野は人、人、人で大変なことになっているのでは?と
ちょっと心配していたのですが
どうも健脚の同級生とふたり
嵯峨野は嵯峨野でもみんなとは反対方向に歩いていったようで
静かなてくてく嵯峨野となりました
大覚寺(だいかくじ)へ
もともとは嵯峨天皇の離宮で
のちにお寺に改めた皇室ゆかりの寺院です
満開の桜が迎えてくれました
勅使門の手前の桜も満開~♪
日本最古の人工の林泉、大沢池の桜も満開でした
空海さんは嵯峨天皇のブレインの一人だったようで
その空海さんのすすめで嵯峨天皇が浄書された般若心経がここに納められています
勅封心経殿(ちょくふうしんぎょうでん)
今日は御影堂(みえどう)で得度式が行われていたため
お堂の中を拝見することはできませんでしたが
御影堂の内陣正面は勅封心経殿を拝するために開けてあるそうです
ちなみに嵯峨天皇、空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)の3人は
平安時代を代表する能筆家で、三筆と呼ばれています
この村雨(むらさめ)の廊下をいくつも渡るうちに方向感覚を失って
迷子になってしまいそうでしたわ
霊明殿の天井も花盛りでした
今回のお目当ては春季特別名宝展
憤怒と慈悲のみほとけ「大覚寺の明王信仰」@大覚寺霊宝館 4月3日~6月1日
大覚寺といえば五大明王
現在、大覚寺には3組の五大明王像が伝えられています
そのうち、室町時代に制作された大威徳明王像(重文)には
41点の胎内納入品があり
今年の春、保存修理が終わったので、この度、初公開となりました
ものすごい迫力でしたわ、五大明王
しっかりパワーをいただきました
背中を押してもらい、清凉寺(せいりょうじ)へ
立派な仁王門です
清涼寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれていて
ご本尊のお釈迦さんは日本三如来のひとつに数えられるお像
インド、中国、日本の三国伝来の生身のお釈迦さまとして古より崇拝されています
いわゆる清凉寺式釈迦像の本家本元で
日本に数多ある清凉寺式はこちらのコピーです
本堂の手前にある一切経蔵
お堂の前にはユニークな傳大士(ふだいし)さま
両脇には笑い仏
こう見えても経典を守る神さまです
この嵯峨釈迦堂は洛中洛外図屏風にも描かれていて
私は、ずっと西向きのお堂が気になっていました
今日、その西向きのお堂が明らかになりました、阿弥陀堂でした
嵯峨天皇の第12皇子、源融(みなもとのとおる)が
嵯峨天皇より嵯峨院の地所の一部を別荘として賜わり
棲霞寺(せいかじ)を建立したもので
源融の没後、遺族がお堂を建立、それがこの阿弥陀堂の始まりだそうです
4月1日~5月31日まで霊宝館特別公開が行われていて
ご本尊の清凉寺式釈迦如来像の体内に納められていた五臓六腑はじめ
国宝阿弥陀三尊坐像などなどを拝見することができます
もう感動の阿弥陀さまでした
源融が亡くなる直前に自分の顔に似せて造らせたという阿弥陀さま
「源氏物語」の光源氏はこの源融がモデルとされていまして・・・
モテモテの光源氏がどんだけ男前だったのか
同級生とふたり、しっかと確認してきました
源融、相当なイケメンです
そしてオーラもハンパない
知的で、涼やかで、優しくて、懐も深い・・・
とにかくこのまま一生見続けていたいと思わせる稀有な阿弥陀さまでした
仏像を見て、これだけときめいたのは初めてかもしれません
数多の女性たちに愛された光源氏
これはもう当然の助動詞「べし」ですね
愛されないわけがない
また会いにきます、絶対に・・・
同級生とふたり、胸キュンの清凉寺でした
春爛漫、イケメン阿弥陀に心ときめいた嵯峨野でした
・・・・・・・・・・続く
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