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わが町知多半島に空港ができました。セントレア空港。いつでも飛んでいけるぞ、空の彼方へ、考えただけで幸せな気分。飛行機見ながら、ちょい福求めてぶらぶら歩いてみようかな、と。
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kamisitiken2013.jpg北野天満宮の東門から出ると
そこは上七軒です
 
室町時代に北野天満宮を再建する際
残材で7軒の茶店を建てたのが
その名前の由来だそうです
 

2887a189.jpeg私たちはこの上七軒ではなく
その北にある五辻通を歩いて
千本釈迦堂へ
 
正式名称は大報恩寺


最近、数珠巡礼に参加したお寺です
 
ご本尊はもちろん釈迦如来
快慶の弟子、行快作の釈迦如来は秘仏のため
お厨子は固く閉じられていました
 
a192186b.jpegこちらの本堂は国宝です
京都最古の建物だそうです
 
つまりあの応仁の乱で焼けなかったんです
 



千本釈迦堂のあるエリアの東は西陣です
 
応仁の乱の西軍の大将
山名宗全が陣を置いたとされたことが地名の由来だそうです
 
千本釈迦堂は
その西軍の本営があったために焼けなかったようですね

お堂の柱には当時の刀傷が残っています
 
3226fb6e.jpeg本堂の手前にある大きなしだれ桜
おかめ桜です
 



c8b4ab62.jpegその近くに
おかめさんが
座っていらっしゃいました
 




こちらのお寺にはおかめ伝説というのがありまして・・・
 
本堂造営の際に
棟梁の高次が柱の1本だけを間違えて短く切ってしまったらしく
あぁぁぁぁどうしよう・・・と悩んでいたそうです
 
そこで妻のおかめは
その短い柱の寸法に合わせて全部切ってしまえばいいんじゃないですか?と
助言します
 
その妻のひと言で無事、本堂は落成しました
 
しかし、おかめさん
 
女のひと言でこのお堂が完成したとなると
これは夫に恥をかかせることになるんじゃないか・・・と杞憂して
上棟式の前日に命を絶ちます
 
おかめさん、妻の鑑ですね

本堂の奥には数多くのおかめ人形が展示されていました
愛嬌のあるものもありますが、かなりエグいものもあって
今日の空のようにどよ~んとした気分になってしまいました
 
このおかめ気分を払拭するために
霊宝殿に急ぎました
 
心が洗われるような六観音がいらっしゃいました
 
聖観音、千手観音、十一面観音
馬頭観音、准胝観音、如意輪観音
 
あの慶派の定慶の作だと言われています
見ごたえありましたね
 
快慶の晩年の作と言われている
十大弟子も並んでいらっしゃいました
 
そして・・・
 
私があづま袋に印仏した誕生釈迦仏もいらっしゃいました
ガラスケース入りです
 
私はナイスバディなセリーヌ・ディオンを想定して彫りましたが
実物を見たら
お腹まわりは幼児体型でした・・・
 
senbonenmado.jpgここから北上して
千本ゑんま堂
 
正式名称は引接寺(いんじょうじ)
 



ご本尊は閻魔法王です
 
京都で閻魔さまといえば
やはりあのお方のお出ましとなります
  
昼は宮中で、夜は冥府で閻魔さまをサポートしていた
あの小野篁さんです
 
こちらの閻魔さまを自ら刻みこのお寺を建立しました

senbonenmadotobanagasi.jpgこの地蔵菩薩池では
毎年旧盆に
水塔婆を流し鐘をついて「おしょらいさん」を迎え
8月16日にお精霊送りをするという風習があるようです
 



enmadomurasakisikibu.jpgなぜか紫式部の供養塔がありました
とにかく今回は
伝説が盛りだくさんです
 






さらにディープな京都をめざします
 
kuginukijizo.jpgこちらは西陣にある石像寺
 
京都1200年の旅でも紹介されていた
あの釘抜き地蔵です
 



石像寺は空海によって創建されたお寺
 
空海さんが唐から持ち帰った石に彫ったとされる地蔵菩薩
諸々の苦しみを抜き取ってくださるということで
「苦抜き地蔵」と呼ばれるように
その後、「くぬき」が「くぎぬき」になり釘抜き地蔵となったようです
 
kuginukiema.jpg身体や心の痛みに苦しむ人たちが
「治りますように」と願をかけ
無事その苦痛から解放された暁には
八寸釘と釘抜きを貼りつけた絵馬を
奉納する習わしとなりました
 


京都1200年の旅では
尾上松也さんは年齢の数だけ
お堂の周囲をまわっていましたが
私たち、年齢の数だけまわっていたら日が暮れそうなので
1周だけまわり

kuginukituruturujizo.jpgてかてかになったお地蔵さんを撫でて
先を急ぎました
 





・・・・・・・・・・続く

                           

大将軍八神社・北野天満宮
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵 
晴明神社






 
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今日3月1日から例の青春が始まりました
さっそく18きっぷで数珠巡礼です
 
天気、とっても悪かったので
画像はすべてどよ~んとしています
が、ラッキーなことに
私たち、雨には降られませんでした
 
仏さんのおかげ?
大将軍のおかげ?
菅原道真公のおかげ?
 
これで今日のコースがわかりましたでしょうか?
 
JRを乗り継いで円町で下車
 
いつ雨が降ってきてもおかしくない天気でしたので
短い距離でしたが市バスに乗りました
 
北野白梅町で下車、歩いて5分
 
daishoguntori.jpg大将軍八神社です

平安京遷都の際
桓武天皇の勅願によって
奈良の春日山麓より
大将軍神を平安京大内裏の北西角の地に勧請し
国家守護、国民の繁栄を祈念したのが始まりだそうです
 
北西の角というのは陰陽道の天門
 
鬼門は北東
南東が地門
裏鬼門の南西は人門だそうです
 
大将軍とは陰陽道・道教の信仰による方位を司る星神です
 
daishogunhonden.jpg本殿の前にあるのは
八卦でしょうか?
 





なんだか
すごい所に迷い込んでしまいましたよ
 
daishogunhoutokuden.jpgお参りしたあと
この大将軍がいらっしゃる方徳殿へ
 
一般公開の日は
決められているようですが
事前に予約すればOKだそうです




私たち、予約はしていませんでしたが
名古屋から来ました~と強くアピールしたら
OKが出ました

ありがとうございました

方徳殿の中には
80体もの大将軍神像群が立体星曼陀羅様に安置されていました
 
武装男神像、束帯神像、童子像
ずらっと並んでいて

80体もあると
さすがにちょっと怖いです
 
健脚の同級生がいなかったら
たぶんとっとと逃げ出していたかもしれません
 
この星神像の隣には天球儀がありました

天空を地球儀のように見立てて
星とか星座とか赤道などを描いたものです
 
あの「天地明察」の渋川春海が製作したもので
現在日本に残る天球儀では最古のもののひとつだそうです
 
渋川春海が頼りにしたのが土御門泰福でした
彼は安倍晴明の子孫です
 
陰陽道安倍家に関わる古天文歴道関係の資料なども展示されています

不思議な空間でした
 
星空をずっと仰いでいると
身体がふわっと浮いて方位を見失ってしまうことがありますが
まさにそんな状態になってしまい

私たち、地上に降り立つために
京都スイーツをいただきました(?)
 
awamotisawaya.jpg粟餅所澤屋さんへ





awamotisawayatennai.jpg店先で
つきたての粟餅に
あんこやきなこを
まぶしています
 


awamotisawayamoti.jpgふわふわでした
幸せ~






kitano2013.jpgお腹いっぱいになったので





kitanohonden2013.jpg向かいにある北野天満宮へ





 
kitanoume20132.jpg境内の梅は





kitanoume20133.jpg7分咲き?
 






ひと息ついて次なるお寺をめざします
 

・・・・・・・・・・続く

                           

大将軍八神社・北野天満宮 
千本釈迦堂・千本ゑんま堂・釘抜き地蔵
晴明神社


 
 
tenryujisanmon.jpg湯葉あんかけ丼で腹ごしらえした後は
世界遺産の天龍寺へ
 





tenryujikogeninshuin.jpgまずは参道の途中にある弘源院へ
 
くの字になった毘沙門天さんにお参りして
数珠とご朱印をいただきました






tenryujihato.jpgめざすは天龍寺の法堂
 
今年最後の雲龍図を見上げてきました
 




tenryujishuin.jpg天龍寺は御醍醐天皇の菩提を弔うために
足利尊氏が建立したお寺で
創建以来、8度も大火にあったそうです
 
明治維新の蛤御門の戦いで焼失したのが最後
 
そのとき唯一残った禅堂を移築したのがこの法堂です
その後、老朽化が進み平成12年に修復されました
 

それまでは法堂の天井には
鈴木松年画伯の雲龍図が描かれていましたが
和紙に描かれていたため損傷が激しく
新たに加山又造画伯によって雲龍図が描かれました
 
八方睨みの龍なので
どこからでも睨まれるんです
 
辰年最後を飾るにふさわしい迫力のある雲龍でした

arasiyamarakan2.jpg嵐山羅漢さんにご挨拶して





arasiyamarakan1.jpg宝厳院で数珠をいただきました
 






tenryujiisibutu1.jpg石仏にもご挨拶して
ここから竹林をめざします
 





saganotikurin1.jpg健脚の同級生とふたり
吉永小百合のCM気分で歩く予定でしたが
 
修学旅行のお子たちがわいわいやってきて
 


突然、先生が
「はい、ストップ、竹林バック、せいのーはい」と
グループごとの記念撮影が始まり
わいわいがやがやにぎやかな竹林散歩となりました
 
nonomiyajinjatorii.jpg野宮神社へ
 
日本最古の黒木鳥居です
 


nonomiyajinja.jpg台湾からの団体さんやら
若いカップルたち
若くないおばさんたちで
にぎわっていました
 



nonomiyajinjashuin.jpg良縁、子宝、学問の神様だそうで
縁結びのお守りを買っているカップルたちが数組いました
 
修学旅行の高校生カップルは
ふたりだけ班から抜け出しきたんでしょうか
周囲を気にしながらお参りしていました
 



saganortikurin2.jpg再び竹林を歩き二尊院へ

ちょっと吉永小百合気分?
 




rakusisha.jpg遠くに見える茅葺屋根は
落柿舎です
 
芭蕉の門下十哲のひとり、向井去来の別邸で
芭蕉も何度か訪れ嵯峨日記を記しました
 
こののんびりとした風景に心癒されます
 
ふっと左の方を見上げると
嵐山が見えるんです
 
毎日、この風景を見ながら洗濯物を干す・・・
うらやましいなぁ
 
そうこうするうちに二尊院到着
 
nisoninkoyonobaba.jpg総門をくぐると
紅葉の馬場・・・のはずなんですが
残念・・・
 


nisoninposter.jpgCM通りならば
こんな感じになっています
 





nisoninkoyobabatukiatari.jpg付きあたりを左へ
 






nisoninchokusimontubaki.jpgみなさんは黒門から入っていましたが
私たちは、ここぞとばかりに勅使門から入りました
 
勅使門には
可愛い椿があしらわれていました
 


nisoninhondo.jpgご本尊は釈迦如来と阿弥陀如来
二尊を祀るため二尊院と呼ばれています






nisoninshuin.jpgありがたいツートップです
 








nisoninkane.jpgしあわせの鐘も
ついてきました






nisoninbyo.jpgこの長い階段を上って
法然上人廟にもお参りしてきました
 







数珠をいただいて
ミッション終了です

紅葉は終わってしまいましたが
夜はライトアップして嵐山はまだまだ燃えています

そんなに歩いた感覚はなかったのですが
歩数21066歩。消費カロリー530.7kcal。脂肪燃焼量75.8g

数珠巡礼をしなが京都の町を歩いて
そろそろ1年ちょっとたちますが

ゆっくり歩いてまわることで
京都の風景がつながってきて
少しずつ少しずつ町のアウトラインが見えてきたような気がします

でもまだまだ知らない京都がいっぱいあるはず

京都は深いですね

                           

嵐山~鹿王院・法輪寺
嵐山~弘源院・天龍寺・宝厳院・野宮神社・二尊院







 
 
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