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多四国のお遍路6日目です
今回は東浦町の森岡周辺のお寺をまわってきました
桶狭間の戦いの6年ほど前
21歳の若き織田信長が今川義元と初めて対決した
村木砦の戦いの舞台となった所です
織田家の配下にある緒川城の水野信元をいざ攻めんと今川義元が築いた村木砦
現在、八劔(やつるぎ)神社があるエリアです
この3月から電化されたJR武豊線の線路脇にあります
線路脇というか・・・
この位置から見ると武豊線はほぼ間違いなく砦址をぶち抜いたと思われます
線路の東側(向かって右)は低くなっていて
かつては海だったことがわかります
現在は埋め立てられて田んぼが広がっています
信長さまは熱田から船に乗って常滑港に上陸し
そして知多半島を横切ってこの村木砦へ駆けつけました
砦の南にある尾張森岡駅あたりから鉄砲を撃ちまくって味方を援護
今川勢を敗走させました
ちなみに信長さまが初めて鉄砲を使った戦でもあります
敵・味方のみならず村人たちも巻き添えをくって多くの死傷者が出ました
そして今川方についた村のお役人たちが処刑された跡もこの近くにあり
今では想像もつきませんが当時は地獄絵図のような風景だったと思います
八劔神社はこの戦の17年後に鎮魂のために建てられました
ここから西へ10分ちょっと
満開の桜が見えてきました
貯水池の近くの公園に「飯喰場(いくいば)」があります
戦に勝った信長さま一行が祝宴をあげたという場所
ここには戦死者を葬った塚もあったようです
さらに坂を上って南へ行くと村木神社があります
信長の本陣だったところです
シダレザクラ、満開でした
村木神社といえば地元では「おまんと祭り」で有名です
境内に柵を設けてそこを馬に掴まって一緒に走るんです
豊作祈願・村民安全を祈願したお祭りだそうです
この村木神社のすぐ近くに7番札所の極楽寺(ごくらくじ)があります
信長さまも見ていたかもしれません
抱き地蔵、重かったです、重いときは願いは叶わない・・・(涙)
立膝のうっふんな如意輪観音さんも涎かけ姿~♪
なおも南下・・・
住宅地に忽然と現れる土塁は緒川城址、水野貞守が築いた城です
この水野氏はこのあとのお遍路でもよくお名前が出てくると思います
知多半島から尾張南部までを勢力下に治め、のちに今川の配下となります
その関係で水野忠政は娘の於大の方を松平広忠に嫁がせます
が、忠政の死後、於大の兄が今川から織田へ乗り換えます
家康を出産した於大の方、バツイチとなり息子と離れ離れ・・・
その後、阿久比の久松氏と再婚
桶狭間の戦いのあと
家康は晴れて於大の方を母として迎え
母の再婚先での息子に松平姓を与え家臣として召し抱えました
生き別れた息子がその後、天下を取るなんて夢にも思ってなかったでしょうね
ちなみに緒川城の門は
鶴竜の名古屋場所宿舎の乾坤院に移築されました
於大の方が生まれ育った緒川城からの眺めです
6日目
7番/極楽寺 8番/傳宗院
東浦町のマンホールはハゼです
卍 卍 知多四国八十八ヶ所めぐり3rd 卍 卍
5 地藏寺 7 極楽寺 8 傳宗院 13 安楽寺 14 興昌寺 15 洞雲院
60安楽寺 61高讃寺 62 洞雲寺 63 大善院 64 宝全寺 65 相持院
72 慈雲寺 73 正法院 74密厳寺 75誕生堂 76如意寺 77浄蓮寺
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